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聖書を毎日調べる 2026
調26 98–108ページ

10月

10月1日,木曜日

私はエホバに目を向け続ける。(ミカ 7:7)

私たちは神が責任を委ねている人たちからの指示を受けることがあります。例えば,会衆の長老,巡回監督,支部事務所,統治体などからです。でも,指示が与えられた理由が分からないとき,どうするでしょうか。その指示通りにしたときのデメリットばかり考えますか。指示を出した兄弟たちの欠点や弱さに注目するでしょうか。信仰によって歩む人は,物事を導いているのはエホバで,エホバが私たちの状況を全て理解していることを信じて疑いません。そういう信頼があれば,どんな指示にもすぐに前向きな姿勢で従えます。(ヘブ 13:17)そして指示に従うなら,会衆のみんなが心を一つにすることができます。(エフェ 4:2,3)指示を出している兄弟たちが完璧ではないとしても,私たちが従うならエホバは喜んでくれます。(サム一 15:22)もし本当に正されなければいけないことがあるなら,エホバは一番いい時に必ず正してくれます。塔研25.03 23-24ページ13-14節

10月2日,金曜日

秘密を明らかにされる神。(ダニ 2:28)

私たちは特別な時代に生きています。聖書の預言が実現するのを毎日のように目撃しているからです。例えば,「北の王」と「南の王」が世界の主導権を巡って争っています。(ダニ 11:40,脚注)神の王国の良い知らせが今までにない規模で伝えられており,数百万人がエホバに仕えるようになっています。(イザ 60:22。マタ 24:14)そして私たちは,信仰を強める食物を「適切な時に」豊かに与えられています。(マタ 24:45-47)エホバは,近い将来にどんな重要なことが起きるかについて私たちがはっきり理解できるように助けてくださっています。(格 4:18)私たちは,大患難が始まる時までに,エホバとの絆を強めて忠実に仕え続けるのに必要な情報が全て与えられることを確信しています。とはいえ,近い将来について知らないことが幾つかあるという点を認める必要があります。塔研24.05 8ページ1-2節

10月3日,土曜日

中傷[しない]。(詩 15:3)

詩編作者は中傷について書いています。中傷とは,誰かの評判を損なうようなうそを言うことです。詩編 15編3節によると,エホバの天幕にいる人は周りの人に何も悪いことをせず,友をけなしません。(詩 15:1)それにはどんなことが関係しているでしょうか。ネガティブな情報を広めて,意図せずに誰かをけなしてしまうということがあり得ます。例えば,(1)ある姉妹が全時間奉仕を中断したとき,(2)ある夫婦がベテル奉仕者でなくなったとき,(3)ある兄弟が長老や援助奉仕者でなくなったときなどです。そうした調整の理由についてあれこれと考えてほかの人と話すのは適切なことでしょうか。私たちが知らない理由もいろいろあるはずです。エホバの天幕の中にいる人は「周りの人に何も悪いことをせず,友をけな」しません。塔研24.06 11-12ページ11-13節

10月4日,日曜日

私はエホバを絶えず自分の前に置く。神が右にいてくださるので,決して動揺することはない。(詩 16:8)

エホバを畏れる気持ちを強めるには,どんな決定をする時にも,どうすればエホバに喜んでもらえるかを考える必要があります。聖書を読む時,自分がその状況にいたらどんな決定をするだろうか,と考えてみてください。例えば,エホバがイスラエル人に与えると約束した土地に偵察に行ったイスラエルの部族の長たちからのネガティブな報告を聞いているとします。あなただったら,その報告を信じて人を恐れる気持ちに負けてしまうでしょうか。それとも,エホバへの愛や,エホバに喜んでもらいたいという気持ちの方が上回るでしょうか。その世代のイスラエル人は,ヨシュアとカレブが語った真理を見分けることができませんでした。結果として,約束の地に入る機会を失ってしまいました。(民 14:10,22,23)塔研24.07 10ページ7節

10月5日,月曜日

エホバは心を調べる方である。(格 17:3)

預言者ホセアの妻ゴメルは,ホセアを捨ててほかの男性のもとに行ってしまいました。ゴメルはもう救いようがなかったでしょうか。心の中をご覧になるエホバは,ホセアにこう言いました。「別の男に愛され,姦淫をしているその女を,もう一度愛しなさい。ほかの神々に頼[って]いるイスラエルの民を,エホバは同じように愛する」。(ホセ 3:1。格 16:2)この時ホセアの妻はまだ重大な罪を犯していた,ということに注目できます。それでもエホバはホセアに,ゴメルのもとに行って許し,和解するようにと言いました。同じように,エホバは強情だった民のことを諦めませんでした。民は相変わらずひどい罪を犯していましたが,エホバは民を愛し,悔い改めて生き方を変えるよう引き続き救いの手を差し伸べました。この例からすると,「心を調べる方」であるエホバは,今も重大な罪を犯している人に手を差し伸べて,悔い改めるよう助けています。塔研24.08 10ページ7節

10月6日,火曜日

律法は後に来る良いものの影にすぎ……ません。(ヘブ 10:1)

ユダヤ教の背景を持つ初期クリスチャンたちには乗り越えなければいけない壁がありました。以前,ユダヤ人はエホバから選ばれた国民でした。エルサレムは長い間とても重要な場所でした。そこから治める王は,エホバの代理として統治していました。神殿は清い崇拝の中心地でした。忠実なユダヤ人はモーセの律法や宗教指導者たちが決めた規則に従っていました。そうした教えには,食事,割礼に対する見方,異国人との接し方に関するものもありました。しかし,イエスが死んだ後,モーセの律法は無効になり,神殿で犠牲を捧げる必要はなくなりました。律法に従ってきたユダヤ人のクリスチャンにとって,これはとても大きな変化でした。(ヘブ 10:1,4,10)ペテロのようにクリスチャンとして十分に成長した人でも,こうした変化に順応するのを難しく感じることがありました。(使徒 10:9-14。ガラ 2:11-14)これまでとは違う新しい教えを信じるようになった当時のクリスチャンは,ユダヤ人の宗教指導者たちから攻撃されました。塔研24.09 9ページ4節

10月7日,水曜日

皆さんを教え導いている人たちのことを心に留めてください。皆さんに神の言葉を語った人たちです。(ヘブ 13:7)

エホバはご自分に仕える人たちに仕事を任せる時,それをきちんと組織して行ってほしいと思っています。(コリ一 14:33)例えば,エホバは,全世界で良い知らせを伝えるという任務を私たちに託しています。(マタ 24:14)そして,指示を与える責任をイエスに任せています。イエスは伝道活動がきちんと組織立って行われるように導いています。1世紀には,エルサレムにいる使徒や長老たちが全ての会衆のために重要な決定をしました。そして,各地の長老たちはその決定を守るようにそれぞれの会衆で伝えました。(使徒 14:23; 15:2; 16:4)兄弟姉妹が与えられた指示に従順に従った結果,「会衆は信仰を強められ,……人数が増えて」いきました。(使徒 16:5)塔研24.04 8ページ1節

10月8日,木曜日

マリア・マグダレネは行って,「主を見ました!」と弟子たちに知らせ[た]。(ヨハ 20:18)

ニサン16日の早朝,何人かの女性がイエスの墓に行きました。(ルカ 24:1,10)その中にマリア・マグダレネがいました。マリアが墓に来ると,そこにイエスの体はありませんでした。マリアはペテロとヨハネの所に走っていってそのことを伝え,2人の後を追ってまた墓に戻りました。空になった墓を見て,2人は家に戻りました。でもマリアはそこに残って泣いていました。マリアは全く気付いていませんでしたが,イエスはその涙を見ていて,慰めてあげたいと思いました。それでマリアの前に姿を現し,話し掛けます。イエスは,自分が復活したことを兄弟たちに伝えるという大切な役割を任せました。短いやりとりでしたが,それはマリアにとって大きな力になりました。(ヨハ 20:17,18)塔研24.10 13ページ7節

10月9日,金曜日

しるしとなることや奇跡をエジプトで多く行う。(出 7:3)

モーセは預言者や裁判人,司令官,歴史家などの役割を果たしました。エジプトで奴隷だったイスラエル人を救い出し,エホバの奇跡をたくさん目撃しました。また,エホバに導かれて聖書の最初の5つの書や詩編 90編を書きました。詩編 91編やヨブ記もモーセが書いたと思われます。モーセは120歳で亡くなる少し前に,イスラエル人の全員を集め,自分たちが経験してきたことを思い起こさせました。イスラエル人たちは,エホバがたくさんの奇跡を行ったり,エジプト人に罰を下したりするのを見ました。(出 7:4)2つに分かれた紅海の間を渡り,ファラオの軍隊が滅ぼされるのを見ました。(出 14:29-31)荒野にいた時にはエホバの世話を受け,守ってもらいました。(申 8:3,4)そして間もなく約束の地に入ろうとしています。モーセはこの最後の機会に民を励まそうとしていました。塔研24.11 8-9ページ3-4節

10月10日,土曜日

このパンを食べる人は永遠に生きます。……私が与えるパンとは私の肉であり,人類が生きるためのものです。(ヨハ 6:51)

イエスが主の晩餐の時に使徒たちに語ったことは,比較的少数の人たちだけに当てはまります。それに対し,ガリラヤの群衆に語ったことは非常に大勢の人たちに当てはまります。イエスは西暦32年にガリラヤで,主にパンをもらうことに関心があったユダヤ人に話していました。でもイエスは,文字通りの食べ物よりももっと価値があるもの,永遠の命を可能にするものに注意を向けました。また,亡くなった人が終わりの日に復活し,永遠に生きることができると言いました。イエスは,主の晩餐の時のように,比較的少数の人たちについて言っていたのではありません。むしろこの時,全ての人に永遠に生きる見込みがあることについて言っていました。塔研24.12 11ページ10-11節

10月11日,日曜日

夫の皆さん,妻を愛し続けてください。(コロ 3:19)

エホバは暴力的な人のことを憎んでいます。(詩 11:5)妻を虐待する夫のことはなおのことそうです。(マラ 2:16)もし夫が妻を大切にしないなら,エホバとの友情を壊してしまう危険があります。エホバに祈りを聞いてもらえなくなる可能性さえあります。(ペテ一 3:7)妻に怒りをぶつけたり,ひどいことを言ったりする人もいます。でもエホバは,「怒り,憤り,わめき,暴言」を憎んでいます。(エフェ 4:31,32)夫が妻にひどいことを言うなら,結婚関係だけでなくエホバとの関係にもひびが入ります。(ヤコ 1:26)同じように,夫がポルノを見るなら,エホバとの友情が壊れます。妻の尊厳も傷つけます。エホバは夫に対し,妻だけを心から愛することを求めています。それには,行動だけでなく何を考えるかも関係しています。イエスは妻以外の女性を性的な関心を持って見る人は,すでに「心の中で」姦淫をしたと言いました。(マタ 5:28,29)塔研25.01 9ページ6-8節

10月12日,月曜日

人が正しいと認められるのは……,イエス・キリストへの信仰による。(ガラ 2:16)

正しいと認めるとは,負債の請求を取り下げ,その記録を消し去って,なかったことにすることを意味しています。とはいえ,エホバがご自分の公正の基準を曲げるというわけではありません。エホバが私たちを正しいと認めるのは,罪を大目に見るからでも,私たちが何か優れたことをしたからでもありません。私たちが贖罪に対して信仰を持っていることと,贖いの代価が支払われたことに基づいて,負債を取り消してくださるのです。(ロマ 3:24)このことは私たちにとってどんな意味があるでしょうか。天でイエスと共に王になるよう選ばれた人たちは,すでに神の子供として正しいと認められています。(テト 3:7。ヨハ一 3:1)罪を許され,その記録を取り消されているので,神の王国に入る資格を持っています。(ロマ 8:1,2,30)地上で生き続ける希望を持つ人たちは神の友として正しいと認められ,罪を許されています。(ヤコ 2:21-23)塔研25.02 5ページ17節,7ページ18節

10月13日,火曜日

あなたは……神の考えではなく,人間の考えを抱いている。(マタ 16:23)

ペテロはエホバと同じ考え方ができなかったことがありました。イエスは使徒たちに,自分がエルサレムに行き,宗教指導者たちに引き渡され,苦しみに遭い,最後には死ぬことになると伝えました。(マタ 16:21)でも,ペテロはそのことを受け入れにくく感じました。イエスはイスラエルが希望を懸けていた約束のメシアでした。そのイエスが殺されるのをエホバが許すことなど,信じられませんでした。(マタ 16:16)それでイエスを脇に連れていき,「主よ,自分を大切にしてください。決してそのような目には遭いません」と言いました。(マタ 16:22)ペテロの考え方はイエスの考え方と違っていました。エホバの考えに自分を合わせていなかったからです。ペテロはイエスのことを思ってアドバイスしていました。でも,イエスはペテロの言葉をはねつけました。イエスが楽な生き方をすることは,エホバの願いではなかったからです。ペテロは自分の考えを神の考えに合わせなければいけないことを学びました。塔研25.03 9ページ5-6節

10月14日,水曜日

エホバは心が傷ついた人のそばにいる。打ちのめされた人を救ってくださる。(詩 34:18)

あなたは,信頼していた人にがっかりさせられたり,裏切られたりして,つらく感じていますか。あなたが人からどんな扱いを受けようと,天のお父さんはあなたを愛しているのです。誰かに裏切られたとき,今日の聖句であるダビデの言葉も心の癒やしになります。ある資料によると,この聖句に出てくる「打ちのめされた人」とは,「待ち望める良い事柄が何もない者たち」のことを指しているようです。エホバは,誰かにひどくがっかりさせられてそのように感じている人を,どのように助けるでしょうか。愛情深い親がつらい思いをしている子供を抱き締めて元気づけるように,エホバは私たちの「そばに」いて寄り添ってくださいます。私たちが誰かに裏切られて打ちのめされるとき,すぐに助けの手を差し伸べてくださいます。傷ついた心を癒やしたいと思ってくれるのです。そして,私たちが今ぶつかっている問題を乗り越えていけるように,素晴らしい将来を約束してくださっています。(イザ 65:17)塔研24.12 23ページ13-14節

10月15日,木曜日

報い[を]エホバから……受ける。(コロ 3:24)

現代の長老たちは,自分たちが一生懸命働く姿をエホバが見ていて高く評価してくれていることを確信できます。多くの長老たちは,牧羊や教えること,伝道に加え,建設奉仕や災害救援のサポートもしています。患者訪問グループや医療機関連絡委員会で働いている人たちもいます。そのような仕事を行っている長老たちは,会衆をエホバのものと見ています。エホバが必ず報いてくれることを確信し,全力を尽くして奉仕を行います。(コロ 3:23,24)みんなが長老として奉仕しているわけではありません。でも,誰もがエホバのために何かをすることができます。エホバは私たちがベストを尽くすのを見て喜んでくださいます。少額であってもエホバの証人の活動のために寄付をする時,目を留めてくださいます。いらいらさせられてもそれを見過ごして許そうとする時,喜んでくれます。できていることをエホバは評価してくれるということを覚えていましょう。エホバは頑張っている私たちのことをいとおしく思い,報いてくれます。(ルカ 21:1-4)塔研24.06 23ページ12-13節

10月16日,金曜日

あなたの心がその女性の道へそれていかないようにしなさい。彼女が通る道にさまよっていってはならない。(格 7:25)

ソロモンが書いたことは,エホバを崇拝している人の誰にでも起き得ることです。重大な罪に陥った人は後になって,何もかも突然に起きたとか,そんなことが起きるとは思っていなかったと言うかもしれません。でも,実際に何が起きたかを振り返ってみれば,幾つかの賢明でない行動が重大な罪につながったということに気付くでしょう。もしかすると,良くない友達と付き合っていたのかもしれません。また,自由な時間に楽しむものや遊びに行く場所がクリスチャンにふさわしくないものだったのかもしれません。オンラインの場合でも同じような危険があります。ほかにも,祈ることや聖書を読むこと,集会に出席すること,宣教に参加することをやめてしまっていたのかもしれません。「格言の書」に書かれている若者と同じように,その人が罪を犯したのは結局のところ,突然というわけではなかったのかもしれません。どんなことを学べるでしょうか。罪を犯すことだけでなく,それにつながる行動も避ける必要があります。ソロモンも,若者と不道徳な女性についての話の直後にそのことを指摘しています。(マタ 5:29,30)塔研24.07 16ページ10-11節

10月17日,土曜日

私たちはこの宝を土の器に入れて持っています。(コリ二 4:7)

ここで言う宝とは,王国について伝えるという人々の命を救う活動のことです。(コリ二 4:1)では,土の器とは何のことですか。それは,神からの良い知らせを伝える人たちのことです。パウロの時代,商人たちは土でできたつぼを使って食べ物やぶどう酒やお金など大切な物を運びました。同じようにエホバは私たちを用いて良い知らせを人々に伝えます。このようにエホバが信頼してくださっているので,私たちはエホバの助けを得ながら伝道活動を続けることができます。時には,伝道でどんな反応が返ってくるだろうと怖くなることもあるかもしれません。そういう気持ちをどうすれば乗り越えられるでしょうか。1世紀の使徒たちの例を考えてみましょう。伝道しないようにと命じられた時,使徒たちはどうしたでしょうか。恐れに負けてしまうのではなく,大胆に語り続けられるようにしてくださいとエホバに祈りました。エホバはすぐにこの祈りに答えました。(使徒 4:18,29,31)あなたも,恐れを感じる時には,人々への愛を強めて恐れずに語れるようにしてください,とお願いすることができます。塔研24.04 16ページ8-9節

10月18日,日曜日

天におられる私たちの父よ,お名前が神聖なものとされますように。(マタ 6:9)

私たちはエホバを愛しているので,エホバの名前が神聖なものとされることを心から願っています。私たちは,サタンがエホバについて悪意のあるうそを広めていることをみんなに知ってほしいと思っています。(創 3:1-5。ヨブ 2:4。ヨハ 8:44)それで,伝道する時にはエホバについて熱意を込めて話します。エホバが愛にあふれた方であることや,エホバの統治が正しくて公平なこと,また,神の王国によって全ての苦しみがなくなり,人間が平和で幸せに暮らせるようになることなどです。(詩 37:10,11,29。ヨハ一 4:8)こうした点を伝える時,エホバの名前を神聖なものとすることができます。また,エホバの証人という名前にふさわしく行動できているという満足感を持つこともできます。塔研24.05 18ページ12節

10月19日,月曜日

宴会を設けるときには,貧しい人,体が不自由な人,足が不自由な人,目が見えない人などを招きなさい。そうするなら幸せです。その人たちにはあなたに報いるものが何もないからです。あなたは,正しい人たちが復活する時に報われます。(ルカ 14:13,14)

「人をよくもてな[す]」兄弟たちは,仲のいい人だけでなく,いろいろな人に親切にします。(ペテ一 4:9)ある参考文献には,人をよくもてなす人のことがこのように説明されています。「その人の家の扉も心の扉も,見知らぬ人に対して開かれている」。それで,「自分は会衆を訪問してきた人に親切にする人として知られているだろうか」と考えてみましょう。(ヘブ 13:2,16)人をよくもてなす人は,巡回監督や訪問講演者といった,仲間のために一生懸命働く人たちや,経済的に厳しい状況にある人など,いろいろな人のためにできることを行います。(創 18:2-8。格 3:27。使徒 16:15。ロマ 12:13)塔研24.11 21ページ6節

10月20日,火曜日

用意ができていた乙女たちは結婚の披露宴のために花婿と一緒に中に入[った]。(マタ 25:10)

イエスは例え話の中で花婿を迎えに出た10人の乙女について話しました。(マタ 25:1-4)乙女たちはみんな,花婿の結婚の披露宴に参加したいと思っていました。イエスはそのうちの5人を「思慮深い」乙女,残りの5人を「愚かな」乙女と呼びました。思慮深い乙女たちは花婿の到着が夜遅くになっても大丈夫なように用意をしていました。ランプを持っていくだけでなく,花婿が遅れたときに備えて予備の油も持っていきました。それで,ランプをともし続けることができました。(マタ 25:6-10)花婿が到着すると,思慮深い乙女たちは披露宴のために花婿と一緒に中に入りました。同じように,天に行くよう選ばれたクリスチャンたちは,キリストが来るまでずっと注意を怠らず,準備ができている状態でいるなら,花婿であるイエスと一緒に天の王国に入ることができます。(啓 7:1-3)塔研24.09 21ページ6節

10月21日,水曜日

私が見ると,全ての国……の中から来た……大群衆が[いた]。(啓 7:9)

今,伝道でどれほどのことが成し遂げられているかを考えると,熱い心で伝道を続ける力が湧いてきます。毎年,関心を持つ何百万人もの人が記念式に出席し,聖書レッスンをしています。そして何十万人もの人がバプテスマを受け,伝道するようになっています。私たちはあとどれくらいの人が良い知らせを受け入れるかは知りませんが,エホバが大患難を生き残る大群衆を集め続けていることは知っています。(啓 7:9,14)収穫の主人エホバは今も畑が色づいている,つまり良い知らせを聞く人たちがまだまだいると考えています。であれば,これからも熱い心で伝道を続けたいと思うのではないでしょうか。(ルカ 10:2)イエスの弟子たちは意欲的に伝道することで知られてきました。使徒たちが大胆に話すのを見た人たちは,彼らが「イエスと一緒にいたことに気付くように」なりました。(使徒 4:13)熱い気持ちで伝道するなら,それを見る人たちは私たちがイエスに倣う本当のクリスチャンであることに気付くでしょう。塔研25.03 18ページ15節,19ページ17-18節

10月22日,木曜日

エホバ,人は何者なのでしょう,あなたが目を留めるとは。(詩 144:3)

たとえ周りの人から見過ごされていると思える場合でも,エホバは評価してくれています。そのことが分かる聖書の記録があります。ある時エホバはサムエルに,エッサイの息子の1人に油を注ぎ,イスラエルの将来の王とするようにと言いました。エッサイは8人の息子のうち7人しかサムエルに会わせず,一番年下のダビデのことは呼びませんでした。でも,エホバはダビデを選びました。(サム一 16:6,7,10-12)ダビデの心の中を見ていて,エホバを本当に愛する人であることを知っていたからです。エホバの気遣いを実感した時のことについて考えてみてください。エホバがぴったりのアドバイスをくれた,と感じたことがきっとあるでしょう。(詩 32:8)あなたのことをよく知らなければ,そんなことはできないはずです。(詩 139:1)エホバのアドバイスに従って行動し,良い結果になるのを経験すると,エホバが本当に気に掛けてくれているということを確信できるようになります。(代一 28:9。使徒 17:26,27)エホバはあなたの努力に気付いています。心の中にある良いものを見て,友になりたいとも思ってくれています。(エレ 17:10)塔研24.10 25-26ページ7-9節

10月23日,金曜日

イエスは……かわいそうに思った。羊飼いのいない羊のようだったからである。(マル 6:34)

あなたはエホバを愛し,仲間に仕えたいと思っているでしょう。そういう場合,意欲を高めるためにどんなことができるでしょうか。兄弟姉妹のために奉仕することからどんな喜びを味わえるかを考えてみましょう。イエスは「受けるより与える方が幸福である」と言いました。(使徒 20:35)イエス自身,この教えの通りにして他の人に仕えることから本当の喜びを味わいました。マルコ 6章31-34節に載っている1つの例を考えましょう。ある時,イエスと使徒たちはとても疲れていたので,静かな場所に行って少し休もうとしていました。でも,多くの人がイエスに教えてもらいたいと思って先回りしていました。この時イエスは断ることもできました。イエスや弟子たちは「食事をする暇もなかった」からです。1つか2つのことを教えて,人々を去らせることもできました。でも,イエスは愛に動かされて人々を「教え始め」,「午後の遅い時間」までそうしました。(マル 6:35)塔研24.11 16ページ9-10節

10月24日,土曜日

皆さんの行動は必ず報われます。(代二 15:7)

親の皆さん,聖書の真理を伝えるチャンスを探すようお子さんを助けましょう。(ロマ 10:10)自分の信仰について話すことは,楽器を演奏することに似ています。最初は簡単なメロディーの練習から始めます。そして,だんだんと楽に演奏できるようになります。自分の信仰についてほかの人に話すときも,簡単なことから始められます。例えば,学校の友達にこんなふうに言えます。「エンジニアが何かを作る時,自然界のデザインをまねすることがよくあるらしいよ。面白い動画があるんだよね」。「だれかが設計?」のシリーズの動画を見せてから,さらにこう言えます。「自然界にあるデザインをまねして設計した人もすごいって言われるんだね。じゃあ,もともとのすごいデザインを考えたのって誰だと思う?」こういうちょっとした会話がきっかけで,友達は興味を持ってもっと聞いてみようと思うかもしれません。塔研24.12 19ページ17-18節

10月25日,日曜日

1人の人によって人類に罪が入り,罪によって死が入[った]。(ロマ 5:12)

エホバは,私たちを罪と死から自由にするためにイエスを贖いとして与えてくださいました。でも,どうして1人の完全な人間の犠牲が多くの人を贖うことができるのでしょうか。使徒パウロはこう説明しています。「1人の人[アダム]の不従順によって多くの人が罪人になったように,1人の人[イエス]の従順によって多くの人が正しい人になるのです」。(ロマ 5:19。テモ一 2:6)考えてみると,私たちは1人の完全な人間の不従順のせいで,罪と死に捕らわれるようになりました。それで,1人の完全な人間の従順のおかげで,罪と死から自由になることができます。エホバは,アダムの子孫の心の正しい人が永遠に生きられるようにすればよかったのではないでしょうか。不完全な人間の目からすると,それが親切で妥当なことに思えるかもしれません。でも,エホバにとっては違いました。エホバは完全に公正な方なので,アダムのひどい不従順を単に見過ごすというのはあり得ないことでした。塔研25.01 20-21ページ3-4節

10月26日,月曜日

見えるものによってではなく信仰によって歩んでいるのです。(コリ二 5:7)

使徒パウロは自分の死が近いことを悟っていました。でも,人生を振り返って深い満足感を覚え,こう言うことができました。「私は……競走を最後まで走りました。クリスチャンの信条を守りました」。(テモ二 4:6-8)パウロは生涯エホバへの奉仕に打ち込むことを決め,その生き方を貫いた自分をエホバが喜んでくれていると確信していました。私たちもパウロのように良い決定をし,神に喜んでいただきたいと思います。どうしたらそうできますか。パウロは,自分と仲間の兄弟姉妹が「見えるものによってではなく信仰によって歩んでいる」と言いました。聖書の中で「歩む」という言葉は,どんな生き方をするかという意味で使われることがあります。信仰によって歩む人は,エホバを信頼して決定します。また,聖書に書かれているエホバのアドバイスに従えば,エホバが必ず支えてくれて良い結果になる,と信じています。(詩 119:66。ヘブ 11:6)塔研25.03 20ページ1-2節

10月27日,火曜日

考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう。(ロマ 12:2)

以前は気性が荒かったものの,聖なる力の助けによって大きく変化してきた人はたくさんいます。(イザ 65:25)そうした人たちは,自分の良くないところを直すために一生懸命努力しています。(エフェ 4:22-24)みんな完璧ではないので失敗することもあります。でもエホバは,愛という強い絆によって「あらゆる人」を一つの家族にし,私たちが平和を楽しめるようにしてくださっています。(テト 2:11)これは全能の神にしかできない奇跡です。エホバが約束したことは必ずその通りになります。(イザ 55:10,11)私たちはすでに,兄弟姉妹と一緒に安心してエホバを崇拝できています。暴力があふれた世の中でも平和を楽しめているのは本当に特別なことです。(詩 72:7)私たちは,できるだけ多くの人にエホバの家族に加わってほしいと思っています。それで,人々を弟子とする活動を一生懸命に行います。(マタ 28:19,20)塔研24.04 23ページ13,15節

10月28日,水曜日

私たちはキリストの考えを知っています。(コリ一 2:16)

イエスは知力を尽くしてエホバを愛しました。エホバが自分にどんなことを望んでいるかを知っていて,その通りに行動する決意でいました。たとえ苦しむことになったとしてもです。イエスはいつもエホバに喜ばれる生き方をすると心に決めていて,ぶれずにその生き方を貫きました。ペテロと使徒たちは,イエスと一緒に過ごしてイエスの考え方をじかに学びました。ペテロは聖なる力に導かれて書いた手紙の中で,キリストと同じ精神を身に着けるよう勧めました。(ペテ一 4:1)ここでペテロが使った「身に着け[る]」に当たるギリシャ語は,兵士が戦いの装備をすることを意味する軍事用語です。クリスチャンがイエスの精神つまり考え方に倣うなら,強力な武器を身に着けられるということです。その武器があれば,悪いことをしたいという欲望や,サタンの世界と戦うことができます。(コリ二 10:3-5。エフェ 6:12)塔研25.03 8-9ページ1-3節

10月29日,木曜日

人の心の考えは深い所にある水のようだ。識別力のある人はそれをくみ上げる。(格 20:5)

付き合っている期間中,互いについてどんなことを知る必要がありますか。気持ちが高まり過ぎる前に,将来の目標など大切なことについて話し合っておきたいと思うでしょう。どうすれば互いの内面をよく知ることができるでしょうか。本当の気持ちを話し,質問し,よく聞きましょう。(ヤコ 1:19)会話を楽しみながら行えることを一緒にするのは良い方法です。例えば,人目がある所で一緒に散歩したり,食事をしたり,伝道したりすることができます。家族や友達と過ごす時にも互いを知ることができます。相手がいろいろな場面で人にどう接するかに注目するようにしましょう。塔研24.05 28ページ6-7節

10月30日,金曜日

皆さんは子供として神に愛されているのですから,神に倣ってください。(エフェ 5:1)

間もなく,これまで以上にエホバに頼らなければ乗り越えられない試練を経験することになるでしょう。聖書を読んだり,現代のエホバの証人が経験したことについて調べたりして,岩のような方であるエホバがご自分に仕える人たちをどのように支えたかに注目し,そのことをじっくり考えましょう。そうすることは,エホバを自分の岩と感じる助けになります。また,私たちが仲間の兄弟姉妹を力づける時にも役立ちます。シモンのことを考えてみましょう。シモンはイエスからケファ(「ペテロ」と訳される)と呼ばれました。これは「小岩」という意味です。(ヨハ 1:42)イエスは,シモンが会衆を慰め,安定させる存在になると言っていました。聖書では,会衆の長老たちが兄弟姉妹を保護する「大岩の陰」に例えられています。(イザ 32:2)でも長老だけでなく,私たち一人一人が岩のような方エホバに倣うなら,会衆は力づけられます。塔研24.06 28ページ10-11節

10月31日,土曜日

エホバは……全くの専心を要求する。(申 4:24)

エホバは真の崇拝をしっかり支持したイスラエルの王たちを忠実な人と見ました。でも,ほとんどの王たちは間違った崇拝を行うようになりエホバの律法を捨てたので,エホバから忠実でないと見なされました。(王一 21:25,26。代二 12:1)崇拝に関係することをエホバがそれほど重要と見なしていたのはどうしてでしょうか。まず,王たちには正しい崇拝を行うよう神の民を導く責任がありました。そして,間違った崇拝は必ず重大な罪や不公正などにつながります。(ホセ 4:1,2)また,イスラエルの王たちも国民もエホバに献身していました。それで,イスラエル国民が間違った崇拝に関わることは,いわば姦淫を犯すようなものでした。(エレ 3:8,9)姦淫をするなら,配偶者を最も深く傷つけることになります。同じように,エホバに献身した人が間違った崇拝に関わるなら,エホバに対して罪を犯すことになり,エホバを本当に深く悲しませてしまいます。(申 4:23)塔研24.07 22-23ページ12-15節

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