7月
7月1日,水曜日
正しい人が見捨てられるのを見たこと[は]ない。(詩 37:25)
エホバに仕えている人たちの中には,高齢だったり,体調が優れなかったり,体が不自由だったりして,思うようにエホバに奉仕できないと感じている兄弟姉妹がいます。エホバから見て自分は本当に価値があるのか不安になり,「自分は今でもエホバの役に立てているんだろうか」と考えることがあるかもしれません。詩編 71編の作者も同じような不安を感じ,「衰えていく時に見捨てないでください」と祈りました。(詩 71:9,18)でも詩編作者は,エホバに忠実に仕え続けるなら,エホバは自分のことを導いて支えてくれるということを確信していました。エホバは,できることが限られているとしても,ベストを尽くしてご自分に仕える姿を見て喜ぶ,ということを詩編作者は知っていました。(詩 37:23-25)高齢の兄弟姉妹は,エホバの見方で自分を見るようにしましょう。体が思うように動かなかったとしても,忠実に仕えることができるようエホバは助けてくれます。(詩 92:12-15)できなくなったことにではなく,今できることに目を向けましょう。塔研24.10 28ページ14-16節
7月2日,木曜日
偶像に捧げられた食物を食べることに関して,私たちは,偶像には何の意味もないこと……を知っています。(コリ一 8:4)
クリスチャンとして十分に成長していない人は,聖書からエホバの考えを読み取って自分の生活に当てはめるのを難しく感じることがよくあります。聖書にはっきりとしたルールが書かれていないならどんな決定をしてもいい,と考える人もいます。逆に,ルールがないと何も決められない,という人もいます。例えば,コリントのクリスチャンはパウロに,偶像に捧げられた物を食べてよいかどうかを判断してほしいと頼んだようです。でもパウロは,一人一人に良心が与えられていて「選択の権利」がある,ということをよく理解していました。それでルールを作ることはしませんでした。聖書の教えに注目させ,自分の良心が痛まず,ほかの人にも罪を犯させないような決定をするように教えました。(コリ一 8:7-9)このようにしてパウロは,コリントの兄弟姉妹がクリスチャンとして成長できるように助けました。ほかの人に頼ったり,ただルールを探したりするのではなく,一人一人が識別力を働かせて良い判断ができるようになってほしいと思っていたのです。塔研24.04 5ページ14節
7月3日,金曜日
私エホバは,心を探[る]。……一人一人に,生き方に応じて……報いるために。(エレ 17:10)
ヨナの時代のニネベの人たちには悔い改める機会がありました。さらにイエスは「裁きの復活」を経験する人たちの中に,「悪いことを行った人」も含まれると言いました。(ヨハ 5:29)そうであれば,ニネベの人たちと同じく悪いことをしたソドムとゴモラの人たちの中にも,復活して悔い改める機会が与えられる人がいるかもしれません。そして私たちには,もしかすると復活してくるそうした人たちに,エホバやイエス・キリストについて教える機会があるかもしれません。エホバはどんな時も「心を探り,奥底の考えを調べ[る]」神です。それで将来の復活についても,エホバが「一人一人に,生き方に応じて……報い」てくださることを確信できます。エホバはご自分の正しさの基準を曲げることはしませんが,可能なときには喜んで憐れみを示します。ですから,聖書にはっきりと書かれていない限り,私たちは誰かについて復活の希望がないと決め付けてはなりません。塔研24.05 6ページ15-16節
7月4日,土曜日
恐れてはいけない。私があなたを助ける。(イザ 41:13)
これまで神に仕える人たちは,難しく思える仕事に取り組む力を神の言葉からもらってきました。預言者エレミヤの例を考えてみましょう。エレミヤは,エホバからのメッセージを伝えるという任務を与えられた時,とても不安になりこう言いました。「私はどのように話したらいいか分かりません。少年にすぎないからです」。(エレ 1:6)では,エレミヤはどのようにして自信のなさを乗り越えたのでしょうか。エホバの言葉から力をもらいました。こう言っています。「神の言葉は……骨の中に閉じ込められた火のようになりました。私はそれを抑えるのに疲れ……ました」。(エレ 20:8,9)エレミヤが与えられた任務は難しいものでしたが,自分が伝えることになっていたメッセージから力を得ることができました。私たちも神の言葉から力を得ることができます。パウロは,正確な知識があるなら,「エホバに仕える人にふさわしい歩み方をし,……あらゆる善いことを行って実を結び」続けることができると言いました。(コロ 1:9,10)塔研24.04 14-15ページ2-4節
7月5日,日曜日
祭司ザドクは……ソロモンに油を注いだ。(王一 1:39)
大祭司アビヤタルが王位を奪おうとしたダビデの息子のアドニヤを支持した時,ザドクはエホバから離れませんでした。ダビデはザドクが決して裏切ることはないと信じていました。アドニヤの策略が明らかになった時,ダビデはソロモンを王に任命するために,ザドク,ナタン,ベナヤの力を借りました。(王一 1:32-34)ナタンをはじめ,ダビデ王を支持し,エホバに忠実に仕える仲間たちと一緒にいたことは,ザドクにとって大きな力や励みになったに違いありません。ソロモンは王になった時,「祭司ザドクをアビヤタルの代わりに」大祭司に任命しました。(王一 2:35)ザドクにどのように倣えるでしょうか。親しい人がエホバから離れたとしても,ぐらつかないようにしましょう。(ヨシュ 24:15)エホバは必要な力や勇気を与えてくださいます。エホバに頼りましょう。よく祈り,仲間との絆を強めることによってそうできます。エホバはあなたが忠実に仕えていることを高く評価していて,そのことに報いてくださいます。(サム二 22:26)塔研24.07 6ページ16-17節
7月6日,月曜日
諦めずに立派なことを行い続けましょう。(ガラ 6:9)
詩編 15編2節には,エホバの友は「非難されるところがなく,正しいことを行[う]」人であると書かれています。これは努力を続けないと達成できないことです。でも,「非難されるところがな[い]」人になることなどできるのでしょうか。私たちは完璧ではありませんが,ベストを尽くしてエホバに従うなら,「非難されるところがな[い]」人とエホバに見てもらえます。献身してバプテスマを受けることは,エホバと共に歩む人生の始まりにすぎません。聖書時代も,イスラエル人というだけで自動的にエホバの友になれたわけではありませんでした。エホバに呼び掛けた人たちの中にも,「誠実さや正しさに欠け」た人たちがいました。(イザ 48:1)エホバの友になることを心から願うイスラエル人は,エホバが求めていることを知り,それに従わなければなりませんでした。同じように,私たちもエホバの友になりたいなら,バプテスマを受けてクリスチャン会衆の活動に参加する以上のことが必要です。「正しいことを行い」続ける必要があります。塔研24.06 9ページ4節,10ページ6節
7月7日,火曜日
神に倣ってください。(エフェ 5:1)
エホバがどんなものを気前よく与えてくださっているか,幾つか考えましょう。エホバは生活に必要な物を与えてくださっています。私たちはぜいたくな生活をしているわけではないかもしれません。でも,エホバのおかげで衣食住など生きていくのに必要な物は与えられています。(詩 4:8。マタ 6:31-33。テモ一 6:6-8)エホバはこうしたことをただの義務感から行っているわけではありません。マタイ 6章25,26節のイエスの言葉を考えてみましょう。イエスは鳥について次のように言いました。「[鳥は]種をまいたり,刈り取ったり,倉に集めたりはしません。それでも天の父は鳥を養っています」。そしてイエスは,「あなたたちはそれよりも価値があるのではありませんか」と問い掛けました。何を教えたかったのでしょうか。エホバは動物を養っているのですから,私たちにも必要な物を必ず与えてくれると確信できるということです。エホバは優しいお父さんとして,愛の気持ちから家族みんなを養ってくれています。(詩 145:16。マタ 6:32)塔研24.09 26-27ページ4-6節
7月8日,水曜日
立派に奉仕する人は良い評価を得,……信仰について少しも気後れせずに語ることができます。(テモ一 3:13)
援助奉仕者は聖なる力によって選ばれた兄弟で,会衆の長老を助けるために大切な仕事をたくさんしています。援助奉仕者にとって一番重要なのは,仕事ができることではなくエホバとの絆を大切にしていることです。エホバを愛し,エホバの正しい基準に従って生きる人でなければなりません。仲間の兄弟姉妹を心から愛していることも大切です。(マタ 22:37-39)では,兄弟たちは援助奉仕者として奉仕することを目指してどんなことができるでしょうか。聖書には援助奉仕者として奉仕するためにどんな資格を満たす必要があるかが書かれています。(テモ一 3:8-10,12)こうした点についてよく調べ,自分に当てはめるよう努力するなら,目標を達成することができます。でも,まずは自分の動機を考えることが大切です。塔研24.11 14-15ページ4-5節
7月9日,木曜日
それを人間の言葉としてではなく,まさしく神の言葉として受け入れ[ました]。(テサ一 2:13)
聖書を何十回も読んでいるという人たちもいます。でもその人たちは本当に聖書を信じているでしょうか。聖書の教えに合わせて生き方を変えようとしているでしょうか。残念ながらそういう人は多くありません。では,エホバの証人はどうでしょうか。学んだことを実践するために努力し,聖書から良い感化を受けるようにしています。それでも神の言葉を読んで実践するのは,いつも簡単なわけではありません。時間を取るのが大変なこともあります。急いで読んでしまって十分に理解できないということもあります。取り組むべき点について考えると,圧倒されそうになるかもしれません。難しく感じるとしても諦めないでください。エホバが助けてくれるので大丈夫です。神の言葉を実践する人になりましょう。神の言葉を読んで活用していくなら,私たちはもっと幸せになれます。(ヤコ 1:25)塔研24.09 7ページ15-16節
7月10日,金曜日
求め続けなさい。そうすれば与えられます。(ルカ 11:9)
トラウマになるようなつらい経験をする時,エホバは聖なる力によって私たちを慰めてくださいます。心が張り裂けるようなつらい経験をする時,祈って自分の気持ちを全部エホバに伝えましょう。何度でも何時間でも祈ることができます。(詩 86:3; 88:1)聖なる力を与えてください,とエホバに繰り返しお願いしましょう。エホバはいつでも助けてくださいます。難しい試練を経験して,疲れ切ってしまったと感じることがありますか。そのようなときも,聖なる力はエホバに仕え続ける助けになります。(エフェ 3:16)聖なる力を与えてくださいと祈った後は,どんなことができるでしょうか。聖なる力を受けることができるよう自分でも努力しましょう。集会に出席したり,伝道に参加したりすることは欠かせません。毎日聖書を読んでエホバの考えを知るようにしましょう。(フィリ 4:8,9)試練を経験した人たちに注目し,その人たちが忍耐できるようエホバがどのように支えたか,じっくり考えてください。塔研24.10 9ページ12-14節
7月11日,土曜日
神は……人類を愛した。(ヨハ 3:16)
私たちは,エホバやイエスと同じように人々を愛しています。(格 8:31)「希望もなく,神を知らずに」生活している人たちのことを考えると,胸が痛みます。(エフェ 2:12)多くの人はいろいろな問題を抱え,抜け出せない深い穴の中にいるように感じているかもしれません。でも,私たちは王国の良い知らせというロープを使って,その人たちをそこから引き上げることができます。人々への愛や思いやりがあるなら,良い知らせを伝えるためにできる限りのことをしたいと思います。私たちが伝えるメッセージを聞く人たちは希望を持つことができます。そして,今幸せな生活を送るだけでなく,将来「真の命」を得て新しい世界で永遠に生きることができるのです。(テモ一 6:19)さらに,人々を愛しているなら,間もなく悪い世界が終わることについて警告せずにはいられなくなります。(エゼ 33:7,8)大患難の時に,間違った宗教が滅ぼされ,ハルマゲドンで邪悪な体制全体が終わりを迎えるのです。(啓 16:14,16; 17:16,17; 19:11,19,20)塔研24.05 16ページ8-9節
7月12日,日曜日
愛する皆さん,復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう。「『復讐は私がすることであり,私が報復する』とエホバは言う」と書いてあるからです。(ロマ 12:19)
使徒パウロはローマのクリスチャンに,「神の憤りに任せましょう」と勧めました。これは,問題を正すタイミングや方法はエホバの判断に任せるということです。ジョン兄弟はひどいことをされた時のことを振り返ってこう言っています。「私は自分の方法で解決したいという気持ちと闘わなければいけませんでした。でも,ローマ 12章19節のおかげでエホバを待つことができました」。エホバが問題を扱ってくれるのを待つなら,必ず良い結果になります。自分の力で問題を解決しようとすると,多くの場合ストレスや挫折感を味わうことになります。エホバは私たちを助けたいと思っています。まるで,「私に任せてくれたら,後は私がなんとかするから」と言ってくれているかのようです。「私が報復する」というエホバの約束を信じているなら,エホバが一番良い方法で問題を扱ってくれるという確信を持ってエホバに任せることができます。塔研24.11 6ページ14-15節
7月13日,月曜日
毎日の必要に応じて,日ごとに私たちにパンをお与えください。(ルカ 11:3)
私たちは生活に欠かせない物に対して正しい見方をする必要があります。パウロはその点について当時のクリスチャンに宛てた手紙の中で強調しました。シナイ山の近くでイスラエル人に起きた出来事について話し,「彼らのように悪い事柄を行おうとしてはなりません」と警告しました。(コリ一 10:6,7,11)エホバは奇跡によってイスラエル人に食べ物を与えましたが,人々は食べ物に執着し,「悪い事柄」を行う結果になってしまいました。(民 11:4-6,31-34)さらに,金の子牛を崇拝しながら,食べたり飲んだり楽しんだりしました。(出 32:4-6)パウロはこの出来事を当時のクリスチャンへの警告として話しました。西暦70年のユダヤ人の体制の終わりが近づいていたからです。私たちも今の体制の終わりが近づいているので,パウロの警告を真剣に受け止める必要があります。塔研24.12 6ページ13節
7月14日,火曜日
若い時からの妻と喜ぶように。(格 5:18)
エホバは「幸福な神」です。私たちにも幸せになってほしいと思っています。(テモ一 1:11)それで,私たちが生活を楽しめるように,たくさんの贈り物を与えてくださっています。(ヤコ 1:17)結婚はその一つです。男性と女性は結婚する時,お互いを愛し,敬い,大切にすることを誓います。2人が結婚の絆を大切にするなら,本当の喜びを味わうことができます。残念ながら,世の中では結婚式で誓ったことを忘れてしまっている夫婦がたくさんいます。そのため,幸せな生活を送れていません。エホバは夫が妻にどのように接することを望んでいるでしょうか。妻を大切にするように命じています。夫は妻に愛と敬意を込めて優しく接することによって妻を大切にできます。(ペテ一 3:7)塔研25.01 8ページ1-2節,9ページ4-5節
7月15日,水曜日
エホバは私を助けてくださる。私は恐れない。(ヘブ 13:6)
パウロがヘブライ人のクリスチャンに宛てて書いた手紙は,1世紀の兄弟たちが患難に備えるのに確かに役立ちました。パウロは,神の言葉を注意深く研究してより深い知識と理解を得るよう兄弟たちに勧めました。このアドバイスは,当時のクリスチャンが信仰を弱める考えを見極めて避ける上で役立ったことでしょう。パウロは,イエスと会衆で教え導いている人たちの指示にすぐに従うことができるよう信仰を強めることの大切さも教えました。そして,試練に遭った時,それを愛情深いお父さんの訓練と見て試練に対して正しい見方を持ち,忍耐できるように助けました。私たちもこうしたエホバからのアドバイスの通りにしていきましょう。そうするなら,終わりまで忍耐し続けることができるのです。(ヘブ 3:14)塔研24.09 12ページ17節,13ページ19節
7月16日,木曜日
イエス・キリストの体が一度限り捧げられたので,私たちは神聖なものとされています。(ヘブ 10:10)
聖書によると,贖いは贖罪や和解のために支払われる代価のことです。エホバにとって贖いは,失われたものを回復させる根拠となります。どういうことでしょうか。アダムとエバは完全な命といつまでも生きる見込みを失いました。それで,贖いの代価は失われたものと同じ価値を持つ必要がありました。(テモ一 2:6)その代価を支払うことができるのは,(1)完全で,(2)地上でいつまでも生きる見込みを持ち,(3)私たちのために進んで命を犠牲にしようとする,成人した男性だけでした。イエスが贖いの代価を支払うことができた3つの理由を考えましょう。(1)イエスは完全で「罪を犯」しませんでした。(ペテ一 2:22)(2)そのためイエスには地上でいつまでも生きる見込みがありました。(3)イエスは私たち人類のために自分の命を進んで差し出しました。(ヘブ 10:9)塔研25.02 4-5ページ11-12節
7月17日,金曜日
神は聖なる力を惜しみながら与えたりはしない。(ヨハ 3:34)
あなたがバプテスマを受けるためにどんな問題と闘っているとしても,エホバはあなたを愛していて,自分の家族に迎え入れたいと思っています。イエスは弟子たちにこう言いました。「からしの種ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事も不可能ではありません」。(マタ 17:20)この言葉を聞いた弟子たちは,イエスと数年過ごしただけだったので,まだ信仰が十分に育ってはいませんでした。でもイエスは,弟子たちが信仰を育んでいけば,山のように大きな問題も動かせるようエホバが助けてくれることを保証しました。エホバはあなたが山を動かせるようにも助けてくれます。バプテスマをためらうような問題にぶつかっているなら,乗り越えられるようすぐ手を打ってください。そして,エホバに献身しバプテスマを受けるという,人生で最高の決定をしてください。塔研25.03 7ページ18-20節
7月18日,土曜日
エホバは私の側にいてくださる。私は恐れない。(詩 118:6)
私たちは,生きている神エホバがいつでも助けてくれることを覚えているなら,試練を忍耐できます。エホバがこれまでしてきたことを考えると,そのことへの確信が深まります。(イザ 37:17,33-37)jw.orgのウェブサイトの報告を見ると,エホバが現代の兄弟姉妹をどのように支えてきたかも知ることができます。自分自身のためにエホバがどのように行動してくださったかを思い出すことも大切です。劇的な経験をしたことがなくても大丈夫です。エホバは私たちのためにいろいろなことをしてくださっています。ご自分の友になるよう引き寄せてくださいました。(ヨハ 6:44)祈りが聞かれたこと,ぴったりのタイミングで助けてもらったこと,大変な時に支えてもらったことを思い出せるようエホバに祈りましょう。そうしたことを考えるなら,エホバがこれからも私たちのために行動してくれるという確信が深まります。塔研24.06 21ページ8節
7月19日,日曜日
全ての人が罪人になったために,死が全ての人に広がった。(ロマ 5:12)
私たちはエホバから決して離れないことを決意しているはずです。それでも弱さがあり,誘惑に負けやすい傾向があります。(ロマ 7:21-23)それで,注意していないと,間違った行いを魅力的に感じてしまうことがあるかもしれません。エホバとイエスから離れないでいるためには,罪を犯さないよう用心しているようにというイエスの教えにしっかり従う必要があります。誰でも,良くないことをしたいという気持ちになってしまうことがあります。でも,人によって弱いところは違います。重大な罪を犯したり,汚れた行いに関わったり,この世の中の考え方にとらわれたりしないよう,それぞれが弱さと闘っています。例えば,性的不道徳の誘惑に負けないように努力している人がいます。また,マスターベーションをすることやポルノを見ることなど,汚れた行いに強く引かれる人もいます。ほかにも,人を恐れたり,自分のことを誇ったり,すぐかっとなったりしないよう闘っている人もいます。塔研24.07 14ページ3節,15ページ5節
7月20日,月曜日
優しく許して慰めるべきです。その人があまりの悲しみに打ちのめされてしまわないためです。(コリ二 2:7)
もし長老たちが,本当に悔い改めた人を会衆に復帰させなかったなら,どうなっていたと思いますか。あるいは,戻ってきた人に会衆の人たちが愛を示そうとしなかったなら,どうなったでしょうか。悔い改めた人は「あまりの悲しみに打ちのめされて」しまったでしょう。もう自分は会衆に戻れないんだ,と感じたかもしれません。そして,エホバとの友情を取り戻すことを諦めてしまったかもしれません。それだけではありません。悔い改めた人を許そうとしないなら,会衆の兄弟姉妹はエホバとの友情を失ってしまう危険がありました。快く許すエホバではなく,厳しくて憐れみを示そうとしないサタンの態度に倣うことになったからです。サタンは,悔い改めた人のエホバに仕えたいという気持ちを失わせたいと思っていました。会衆の兄弟姉妹が許そうとしないなら,そんなサタンに協力してしまう危険がありました。(コリ二 2:10,11。エフェ 4:27)塔研24.08 16ページ7節,17ページ10-11節
7月21日,火曜日
その方は高い所に昇った時,……人々という贈り物を与えました。(エフェ 4:8)
キリスト・イエスが与えた「人々という贈り物」は,援助奉仕者や長老だけではありません。エルサレムにいる長老たちはイエスの指導の下,パウロやバルナバなどの兄弟たちを旅行する監督として遣わしました。(使徒 11:22)それは援助奉仕者や長老たちが任命されたのと同じで,会衆を力づけるためでした。(使徒 15:40,41)巡回監督は毎週のように移動します。何百キロも離れた会衆まで行くこともあります。1週間のうちに幾つも話をし,牧羊訪問を行い,開拓者の集まりや長老の会合,野外奉仕のための集まりを司会します。巡回大会や地区大会の組織をし,話の準備もします。開拓者学校で教え,巡回区の開拓者との特別な会合も計画します。そして支部から割り当てられるほかの仕事も果たします。中には緊急なものもあります。塔研24.10 21ページ12-13節
7月22日,水曜日
私は彼らの過ちを許し,彼らの罪をもはや思い出さない。(エレ 31:34)
エレミヤはエホバについて,今日の聖句にある言葉を述べました。パウロもこの言葉を引用して,「私は……彼らの罪をもはや思い出さない」と書きました。(ヘブ 8:12)ではこれはどういう意味なのでしょうか。聖書の中で「思い出す」という表現は,必ずしも過去に起きたことを思い起こしたり考えたりすることを指すわけではなく,行動を起こすという意味を含むことがあります。イエスの隣で杭に掛けられていた犯罪者は,「イエス,王国に入る時に私を思い出してください」と言いました。(ルカ 23:42,43)単に自分のことを思い起こしてほしいとお願いしていたわけではありませんでした。続くイエスの答えは,イエスがその人を復活させるために行動を起こすつもりであることを示すものでした。それで,エホバが私たちの罪をもはや思い出さないというのは,私たちを処罰するために行動を起こすことはないという意味です。エホバは以前に許した罪のことで,後から処罰したりはしません。塔研25.02 10-11ページ14-15節
7月23日,木曜日
最も聖なる方についての知識が理解を与える。(格 9:10)
正しい理解を得るには,エホバの性格や目的,エホバが何を愛し何を憎んでいるかを知る必要があります。こう考えてみましょう。「エホバについて私が知っていることからすると,どんな決定をしたらエホバに喜んでもらえるだろうか」。(エフェ 5:17)エホバに喜んでもらえる決定をしたからといって,身近な人がいつも喜んでくれるわけではありません。例えば,親は娘のことを思って,信仰がそれほど強くなくても裕福な男性と結婚してほしいと考えるかもしれません。確かに,親は自分の娘には不自由のない生活をしてほしいと思うものです。でも,その人と結婚したら,エホバとの関係を成長させていけるでしょうか。エホバはどう思うでしょうか。その答えはマタイ 6章33節にあります。そこでクリスチャンは「王国……をいつも第一に」するよう命じられています。親や周りの人たちの意見を尊重することも大切ですが,私たちにとって一番大切なのはエホバに喜んでもらうことです。塔研25.01 17ページ9-10節
7月24日,金曜日
主が私のそばに立って,力を与えてくださいました。(テモ二 4:17)
反対に遭っても熱い心で伝道を続けるには,エホバのサポートが必要です。(啓 12:17)エホバは必ず助けてくれます。そのことは,ヨハネ 17章に書かれているイエスの祈りから分かります。イエスは使徒たちを見守ってくださるようエホバにお願いしました。エホバはその祈りを聞きました。「使徒の活動」には,迫害の中でも使徒たちがエホバから助けられて熱い心で伝道を続けたことが記録されています。イエスは,使徒たちの言葉に信仰を持つ人たちのことも見守ってくださるようお願いしました。その中にはあなたも含まれています。エホバは使徒たちを助けたように,あなたのことも必ず助けてくれます。(ヨハ 17:11,15,20)終わりが近づくにつれて,良い知らせを熱い心で伝えることはますます難しくなっていくでしょう。それでも必要なサポートは全て与えられます。(ルカ 21:12-15)塔研25.03 17-18ページ13-14節
7月25日,土曜日
私に仕える者たちは……喜んで叫ぶ。(イザ 65:14)
エホバに仕える人たちは,エホバへの感謝の気持ちにあふれて「喜んで叫[び]」ます。聖書の教えや慰めとなる約束,キリストの贖いに基づく希望によって,「心が晴れやか」になります。こうしたことを話す時に,私たちは本当にうれしくなります。(詩 34:8; 133:1-3)エホバを崇拝する人たちの間には,愛と一致という際立った特徴があります。この「絆」は,新しい世界での生活がどんなものになるかをイメージする助けになります。(コロ 3:14)将来,エホバに仕える人たちの愛や一致はさらに強くなっていくことでしょう。本当の幸せを味わいたいと思うなら,エホバを崇拝する人たちの仲間に加わって,自分でそれを味わう必要があります。世の中の人にどう思われたとしても,兄弟姉妹から愛され,エホバから良い評判を得られるということを忘れないでください。エホバは「自分に仕える者たちを別の名で呼」んでくださるのです。(イザ 65:15)塔研24.04 21ページ7-8節
7月26日,日曜日
これからも……力づけ合ってください。(テサ一 5:11)
結婚したいと思っている独身の兄弟姉妹のために,周りの人はどのように助けになれるでしょうか。まず,どんなことを言うかに気を付けるのは大切です。(エフェ 4:29)こう考えてみましょう。「自分は独身の人をからかったりしていないだろうか。独身の兄弟と姉妹が話しているのを見たとき,2人にその気があると決め付けていないだろうか」。(テモ一 5:13)独身の人に劣等感を抱かせるようなことを決して言わないようにしましょう。独身の兄弟姉妹と話すときには,その人のいいところを褒めるようにしましょう。あの兄弟とあの姉妹合うんじゃないかな,と思った場合,どんなことができるでしょうか。聖書は人の気持ちに配慮するよう勧めています。(ロマ 15:2)誰もが結婚相手を紹介してほしいと思っているわけではありません。それで,本人の気持ちを尊重しましょう。(テサ二 3:11)誰かを紹介してほしいと思っている人もいますが,頼まれていないのに世話を焼くことがないようにしましょう。(格 3:27)塔研24.05 24-25ページ14-15節
7月27日,月曜日
敵たちの岩は私たちの岩のようではない。(申 32:31)
今の世の中では予期しない問題が次々と起きます。そのために,いろいろ影響を受けることもあれば,時には生活が一変することもあります。そのような時に助けを求めてエホバに頼れるのは本当にうれしいことです。実際にエホバに助けてもらうと,「エホバは生きている」と改めて実感します。ダビデもそう言いました。(詩 18:46)でもその直後に,エホバのことを「私の岩」と呼びました。エホバを命のない岩に例えたのはどうしてでしょうか。聖書で使われている「岩」という表現から,エホバがどんな方であるかを知ることができます。この表現は,誰とも比べることができないほど素晴らしい方であるエホバを賛美する文脈でよく使われています。エホバに関して岩という表現が最初に使われているのは,申命記 32章4節です。また,ハンナは祈りの中で,「私たちの神のような岩はありません」と言いました。(サム一 2:2)ハバククはエホバを「私の岩」と呼びました。(ハバ 1:12)詩編 73編の作者は「私の心の岩」と言っています。(詩 73:26)エホバご自身も自分のことを岩と表現しています。(イザ 44:8)塔研24.06 26ページ1,3節
7月28日,火曜日
心を尽くしてエホバに仕えたエホシャファト。(代二 22:9)
心を尽くしてエホバを崇拝した王たちはエホバに喜ばれました。ヨシヤについては聖書にこうあります。「ヨシヤのように……心を尽くし[て]エホバのもとに戻ろうとした王は後にも先にもいなかった」。(王二 23:25)ソロモンについてはどうでしょうか。後に悪いことをするようになった「ソロモンの心は……全てがエホバ神に向いているわけでは」ありませんでした。(王一 11:4)忠実でなかった王アビヤムについても,「彼の心は……全てがエホバ神に向いているわけではなかった」と書かれています。(王一 15:3)聖書で「心」という言葉は,人の内面全体を指して使われることがよくあります。それには,願望,考え,気質,態度,素質,動機,目標が含まれています。では,エホバに心を尽くして仕えるとはどういう意味でしょうか。心を尽くして仕える人は,形だけの崇拝で済ませるようなことはしません。生きている限り,エホバを深く敬って愛する気持ちからエホバに仕えます。塔研24.07 21ページ4-5節
7月29日,水曜日
全ての過ちを拭い去ってください。(詩 51:9)
エホバがどのように私たちの罪を消し去ってくださるかを描いた表現を考えましょう。エホバはこう言っています。「私はあなたの違反を雲で覆うかのように,あなたの罪を厚い雲で覆うかのように覆い隠す」。(イザ 44:22)エホバが許してくださる時,私たちの違反はまるで厚い雲で覆われるかのように,全く見えなくなります。どんなことを学べるでしょうか。エホバが罪を許してくださったなら,私たちは犯した罪を一生残ってしまう汚点のように感じる必要はありません。イエス・キリストの血によって,私たちの負債は完全に取り消されました。そうした負債がそもそも存在しなかったかのように見なしてくださるのです。エホバが悔い改めた人を許すというのはこういうことです。エホバの憐れみのおかげで私たちはエホバとの良い関係を築くことができ,罪悪感に悩まされずに済みます。塔研25.02 10ページ11-14節
7月30日,木曜日
神[は]ご親切にも悔い改めに導こうとしてくださっている。(ロマ 2:4)
委員会で奉仕する長老たちは,会衆の清さを守るという大きな責任をエホバから委ねられています。(コリ一 5:7)でも同時に,罪を犯した人が悔い改めるよう助けるために,できる限りのことをします。その人が変化することを信じ,前向きな見方を持ち続けるようにします。「優しい愛情にあふれ,憐れみ深い」エホバに倣いたいと思っているからです。(ヤコ 5:11)高齢だった使徒ヨハネはまさにそのような人で,次のように書きました。「私の子供たち,皆さんが罪を犯さないように,私はこれらのことを書いています。とはいえ,もし誰かが罪を犯したとしても,私たちを助けてくださる方が父のもとにいます。正しい方であるイエス・キリストです」。(ヨハ一 2:1)残念なことですが,クリスチャンの中には罪を悔い改めようとしない人もいます。その人は会衆から除かれることになります。塔研24.08 25ページ19-20節
7月31日,金曜日
信仰を持ってしっかり立ちましょう。(コリ一 16:13)
自分をほかの人と比べてしまいそうになる時,そうしないように努力しましょう。エホバは人と比べたりはしないからです。(ガラ 6:4)そのことが分かる例があります。マリアはとても高価な香油をイエスの足に注ぎました。(ヨハ 12:3-5)一方で,貧乏なやもめはごく小額の小さな硬貨2枚を神殿に寄付しました。(ルカ 21:1-4)イエスは信仰を表したどちらの女性のことも褒めました。お父さんエホバと同じ見方をしていたからです。エホバは,私たちが心を尽くして,エホバへの愛の気持ちから何かを差し出す時,それがどれほど小さなものであっても高く評価してくれます。私たちは誰もが疑いの気持ちを感じることがあります。でも,信頼できる聖書のアドバイスの通りにするなら,それと闘うことができます。不安な気持ちを乗り越えて安心感を持てるようになりましょう。エホバは,私たち一人一人に目を留めて気に掛けてくれています。私たちがよく頑張っていることを分かっていて,必ず報いを与えると約束しています。エホバはご自分に揺るぎない愛を示す人全てを愛し,気に掛けています。塔研24.10 25ページ3節,29ページ17-18節