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聖書を毎日調べる 2026
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6月

6月1日,月曜日

エホバ,あなたは善い方で,快く許してくださいます。(詩 86:5)

私たちはキリストの贖いの犠牲のおかげで,今も幸せでいられます。1つの理由は,贖いに基づいて,エホバが私たちの罪を許してくださることです。エホバは義務感からではなく,心から許してくださいます。(詩 103:3,10-13)自分はエホバに許してもらえるような者ではないと感じる人がいるかもしれません。実際のところ,エホバの許しに値する人はいません。使徒パウロは,自分が「使徒と呼ばれるに値し[ない]」ということを理解していました。それでも,「今の私があるのは,神の惜しみない親切のおかげです」と言っています。(コリ一 15:9,10)私たちが罪を悔い改める時,エホバは私たちを許してくださいます。それは,私たちが許しに値するからではなく,エホバが私たちを愛してくれているからです。自分には価値がないという気持ちに悩まされるときには,エホバは贖いを完全な人のためにではなく,罪を犯しても悔い改める人のために与えてくれたということを思い出しましょう。(ルカ 5:32。テモ一 1:15)塔研25.01 26-27ページ3-4節

6月2日,火曜日

親切であることは自分のためになり,残酷な人は自分を苦しい目に遭わせる。(格 11:17)

ほかの人が言うことやすることはコントロールできません。でも,自分の反応をコントロールするよう努力することはできます。大抵の場合,一番良いのは許すことです。どうしてそういえますか。私たちを愛しているエホバが,人を許すことを願っているからです。怒ったままで許そうとしないなら,愚かなことをしてしまう可能性があります。さらに,体にも良くない影響があるかもしれません。(格 14:17,29,30)憤りを捨てるなら,イライラした気持ちになって心が乱されることを避けられます。それは自分のためになり,前向きに人生を歩んでいくのに役立ちます。どうすれば怒りの気持ちや傷ついた気持ちを乗り越えられるでしょうか。まず,心の傷が癒えるには時間がかかるということを認めましょう。ひどいけがをして治療を受けた場合,傷が治るには時間が必要です。同じように,感情を傷つけられた場合に心から相手を許せるようになるには,時間がかかることがあります。(伝 3:3。ペテ一 1:22)相手を許すことができるようエホバに祈って助けを求めることは大切です。塔研25.02 16-17ページ8-11節

6月3日,水曜日

固い食物は,十分に成長した人のためのものです。(ヘブ 5:14)

初歩の教理には,悔い改め,信仰,バプテスマ,復活についての教えが含まれています。(ヘブ 6:1,2)これはクリスチャンにとって土台となる教えです。それでペテロは,ペンテコステの時にこうしたものの幾つかについて話しました。(使徒 2:32-35,38)キリストの弟子になるためには,初歩の教理を信じて受け入れる必要があります。パウロは,復活の教えを否定するならクリスチャンとしての信仰全体を否定することになる,と警告しました。(コリ一 15:12-14)とはいえ,こうした基本的な知識だけで満足していてはいけません。初歩の教理だけでなく,「固い食物」を取り入れるように努力しましょう。エホバのおきてだけでなく,聖書のさまざまな記述を学び,じっくり考え,自分の生活に当てはめることが大切です。そのようにしてエホバの気持ちや考え方を理解するなら,エホバに喜ばれる決定を下せるようになるでしょう。塔研24.04 4-5ページ12-13節

6月4日,木曜日

ニネベの人々は裁きの際に……復活[する]。(マタ 12:41)

エホバは,ニネベの人たちは「何が良くて何が悪いかを知らない」ということをヨナに思い起こさせました。(ヨナ 1:1,2; 3:10; 4:9-11)後にイエスはこの例を引き合いに出して,エホバが公正で憐れみ深い方であるということを教えました。ニネベの人たちが「裁きの際に……復活」するとはどういう意味でしょうか。イエスは将来の「裁きの復活」について言っていました。(ヨハ 5:29)千年統治の間に「正しい人も正しくない人も復活」します。(使徒 24:15)その復活は,正しくない人にとっては「裁きの復活」になります。つまり,エホバとイエスは,その人が神から教えられることに従うかどうかを観察し,評価するということです。復活してくるニネベの人たちが清い崇拝に加わることを拒むなら,生き続けることはできません。(イザ 65:20)でも,エホバに仕えることを選ぶ人たちは永遠に生きる見込みを持つことができます。(ダニ 12:2)塔研24.05 5ページ13-14節

6月5日,金曜日

人の子は,迷い出た人を捜して救うために来た。(ルカ 19:10)

イエスは憐れみ深い天のお父さんにそっくりでした。(ヨハ 14:9)イエスは,思いやりのある憐れみ深いエホバが人々を愛していて,罪と闘えるよう助けたいと願っていることを,言葉と行いによって示しました。そして,罪深いことをしていた人も生き方を変えてイエスに従いたいと思えるように助けました。(ルカ 5:27,28)イエスは自分がどんなことを経験するかを知っていました。それで弟子たちに,自分が裏切られ,杭に掛けられて死ぬことを何度も伝えました。(マタ 17:22; 20:18,19)イエスは,自分の犠牲が人類の罪を取り去ることになるということを知っていました。さらにイエスは,命をなげうった後「あらゆる人を[自分のところ]に引き寄せ」るとも言いました。(ヨハ 12:32)罪を負った人類はイエスを主として受け入れ,イエスの手本に従うなら,エホバに喜んでいただけます。そして最終的に「罪から自由にされ」ます。(ロマ 6:14,18,22。ヨハ 8:32)イエスはこうしたことを知っていたので,勇気を持って,痛みを伴う死を進んで受け入れました。(ヨハ 10:17,18)塔研24.08 5ページ11-12節

6月6日,土曜日

全ての国の人々の間で,良い知らせがまず伝えられなければなりません。(マル 13:10)

聖書の真理を初めて聞いた時にどんな気持ちになったか思い出してください。例えば,天のお父さんエホバがあなたを愛していて,家族に迎え入れたいと思っていることを知りました。また,エホバが苦しみを終わらせてくださるという約束や,亡くなった愛する人たちと新しい世界でまた会えるという希望についても学びました。(マル 10:29,30。ヨハ 5:28,29。ロマ 8:38,39。啓 21:3,4)こうした真理を聞いて心が温かくなったことでしょう。(ルカ 24:32)学んだことを愛するようになり,貴重な真理を他の人に伝えずにはいられなくなったはずです。(エレミヤ 20:9と比較。)聖書の真理を心から愛するようになると,みんなに伝えたくなるものです。(ルカ 6:45)1世紀のイエスの弟子たちは,「見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません」と言いました。(使徒 4:20)私たちも同じ気持ちです。真理をとても愛しているので,できるだけ多くの人に伝えたいと思います。塔研24.05 15ページ5節,16ページ7節

6月7日,日曜日

喜んでエホバに仕えよ。(詩 100:2)

私たちはお父さんエホバを愛していて,エホバについて多くの人に知ってもらいたいと思っているので伝道しています。でも,なかなか伝道を楽しめないという人もいます。恥ずかしがり屋だったり,上手に話せないと感じたりするのかもしれません。知らない人の家に行くことに緊張してしまったり,家の人が怒ったらどうしようと不安になったりする場合もあります。あまり波風を立てないようにと教えられてきた人もいることでしょう。このように,知らない人に良い知らせを伝えるのを難しく感じる場合があります。あなたも,伝道をなかなか楽しめないと感じることがありますか。もしあるとしても,がっかりしないでください。自信がないと感じるのは,謙虚であることの表れかもしれません。自分に注目させないようにしたいとか,人と穏やかに接したいと思っているのでしょう。それに,誰かを怒らせたいと思う人は一人もいません。人のためになることを行いたいと思っている場合はなおさらそうです。お父さんエホバは私たちのこうした気持ちをよく分かってくれていて,助けになりたいと思っています。(イザ 41:13)塔研24.04 14ページ1-2節

6月8日,月曜日

知恵は,慎みのある人たちと共にある。(格 11:2)

聖書を読む際に学んだことを一度に全部行おうとするのではなく,まずは幾つかの目標に絞ることができます。こんなふうにできるかもしれません。取り組む必要のあることをリストにします。そこから1つか2つを選びましょう。残りは後で取り組むことにします。では,どこから始めるとよいでしょうか。達成しやすいと思う目標から始める人もいれば,特に直したいと思う部分から取り組む人もいます。目標を決めたなら,出版物を使って調査しましょう。目標について祈り,「行動するための意欲と力の両方」を与えてくださいとエホバにお願いします。(フィリ 2:13)それから,学んだことを実行してみましょう。最初の目標にうまく取り組めると,次の目標も頑張ってみようという気持ちになるはずです。クリスチャンの生き方や人格の1つの面で成長できると,ほかの面にも取り組みやすいと感じるでしょう。塔研24.09 6ページ13-14節

6月9日,火曜日

皆さんは例の件に関して清いことをあらゆる点で証明しました。(コリ二 7:11)

以前に誰かを傷つけてしまったことで,心が痛む場合はどうしたらいいでしょうか。相手のためにできる限りのことを行い,誠実に謝りましょう。傷つけてしまった人のことを助けてくれるよう,エホバに祈ってください。エホバは,あなたと相手が穏やかな気持ちを取り戻し,これからも頑張っていけるよう助けてくださいます。間違いから学び,エホバがあなたにしてほしいと思っていることを進んで行いましょう。ヨナの例を考えてみてください。ヨナは神からニネベに行くよう言われたのに,反対方向に逃げてしまいました。でも,エホバからの矯正を受け,自分の間違いから学びました。(ヨナ 1:1-4,15-17; 2:7-10)エホバはヨナを見限ったりしませんでした。再びニネベに行くよう指示されると,ヨナはすぐに従いました。以前にしてしまったことでがっかりするあまり,エホバから与えられた仕事を断ってしまうことはありませんでした。(ヨナ 3:1-3)塔研24.10 8-9ページ10-11節

6月10日,水曜日

ですから,罪を消し去っていただくために,悔い改めて生き方を変えなさい。そうすれば,爽やかにする時期がエホバから来[ます]。(使徒 3:19)

エホバは私たちの罪という負債を取り消すだけでなく,消し去ってくださいます。負債を取り消すと聞くと,帳簿にある数字の上に大きく×印を書くようなイメージかもしれません。でも,それだと×の下の数字はまだ読めます。では,消し去るとはどういうことでしょうか。古代に使われていたインクは,すすと樹脂と水を混ぜて作られたもので,水を含ませた海綿で拭えば文字を消すことができました。それで,負債は「消し去」られると,完全に存在しなくなりました。もともと何が書かれていたか肉眼では見えなくなり,その記録は最初からなかったかのようになりました。エホバが私たちの罪を取り消すだけでなく,完全に消し去ってくださることを考えると,本当に温かい気持ちになります。(詩 51:9)塔研25.02 10ページ11節

6月11日,木曜日

腹を立てて悪を行ってはならない。(詩 37:8)

ほかの人から誤解されたり,ひどいことをされたりした時には,エホバが全てを分かってくれているということを思い出しましょう。そのことを確信しているなら,ひどいことをされても,やがてエホバがその問題を扱ってくださると考えることができます。全てをエホバにお任せするなら,怒りや憤りの気持ちを募らせずに済みます。そうした気持ちをそのままにしておくなら,過剰に反応したり,喜びを失ったり,エホバとの友情が壊れてしまったりするかもしれません。もちろん,私たちはイエスの手本に完璧に倣うことはできません。自分が言ったことやしたことを,後になって後悔するときもあります。(ヤコ 3:2)時には不当な扱いをされて,体も心も大きなダメージを受けることがあります。もしそういう経験をしているなら,エホバは全てのことを知っているということを忘れないでください。不当な扱いを受けて苦しんだイエスもあなたの気持ちをよく分かってくれます。(ヘブ 4:15,16)嬉しいことに,エホバは,不公正にどのように対処したらいいのか,具体的なアドバイスを私たちに与えてくれています。塔研24.11 6ページ12-13節

6月12日,金曜日

神の求めること,それは神が遣わした人に信仰を抱くことです。(ヨハ 6:29)

「永遠の命を受け」るには,イエスに信仰を持つことが必要です。(ヨハ 3:16-18,36; 17:3)ユダヤ人の多くは「神の求めること」についてイエスが教えたことを受け入れませんでした。そしてこう言いました。「私たちがあなたを信じられるよう,あなたはしるしとしてどんな奇跡を見せてくれますか」。(ヨハ 6:30)そして,モーセの時代には自分たちの先祖に食物となるマナを与えられたと言います。(ネヘ 9:15。ヨハ 6:31。詩 78:24,25)人々が文字通りのパンをもらうことばかり考えていたことが分かります。そしてイエスが,マナとは違い命を与える「天からの真のパン」について話した時,人々はその意味について尋ねることもしませんでした。(ヨハ 6:32)今の生活のことばかり考えていて,イエスが伝えようとしていた永遠の命に関する真理を聞こうとしなかったのです。塔研24.12 5-6ページ10-11節

6月13日,土曜日

全てのものを造ったのは神です。(ヘブ 3:4)

子供は理科の授業などでさまざまなことを学んでいくと,いろいろな物の形に法則があることに気付きます。例えば,雪の結晶の形はフラクタルとして知られる幾何学構造になっています。フラクタル構造は自然界のほかの物にも見られます。では,こうした美しいパターンの基になっている法則を作ったのは誰でしょうか。繊細で整ったデザインを誰が考えたのでしょうか。お子さんはこうしたことを考えていくにつれて,神が全てのものを創造したという強い信仰を持てるようになるでしょう。タイミングを見計らって,お子さんにこう言えるかもしれません。「神が私たち人間を造ったとしたら,幸せに暮らせるようアドバイスも与えてくれるはずじゃない?」その後,そうした道徳面でのアドバイスが聖書に書かれているということに注意を向けることができます。塔研24.12 16ページ8節

6月14日,日曜日

私は皆さんの中で性的不道徳が行われていると聞いています。異国の人々の間にさえ見られないような性的不道徳で,自分の父親の妻を自分のものにしている人がいるとのことです。(コリ一 5:1)

聖なる力に導かれてパウロは,罪を悔い改めない人を会衆から除くように,という指示を与えました。(コリ一 5:13)会衆の人たちはその人にどんな接し方をする必要があったでしょうか。パウロは「そのような人とは交友するのをやめなさい。一緒に食事をしてもなりません」と言いました。(コリ一 5:11)どうしてでしょうか。誰かと一緒に食事をするなら,それがきっかけでその人と親しくなっていくことでしょう。パウロが交友を持たないようにと言ったのは,会衆を悪い影響から守るためでした。(コリ一 5:5-7)これは罪を犯した本人のためにもなりました。その人は,エホバをどれほど傷つけてしまったかに気付いて深く悲しみ,悔い改めるように心を動かされたかもしれません。塔研24.08 15ページ4-5節

6月15日,月曜日

神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛した。(ヨハ 3:16)

イスラエルでは年に一度贖罪の日があり,大祭司は人々のために動物の犠牲を捧げました。もちろん,動物の犠牲は誰の罪も完全に贖うことはできませんでした。動物の命の価値は人間の命の価値に及ばなかったからです。でもイスラエル人が悔い改めて,エホバから求められている犠牲を捧げる限り,エホバは進んでイスラエル人の罪を許しました。(ヘブ 10:1-4)贖罪の日に捧げられた犠牲は,自分たちが本当に罪深いことをイスラエル人に意識させました。でもエホバは,人類の罪を完全に許すための方法を考えていました。それは,ご自分の愛する子イエスが「多くの人の罪を負うために一度限り自分を捧げ」るというものでした。(ヘブ 9:28)イエスは「多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与え」ました。(マタ 20:28)塔研25.02 4ページ9-10節

6月16日,火曜日

ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に負けないようにしていなさい。(マタ 26:41)

「もっとも,心は強く願っていても,肉体は弱いのです」。(マタ 26:41後半)この言葉から,イエスが私たちの弱さを理解してくれていることが分かります。さらに,自信過剰に気を付けなければいけないということも学べます。弟子たちはこの言葉が語られた夜,イエスを見捨てることは絶対にしないと自信を持って言っていました。(マタ 26:35)そう言ったのは正しいことをしたいと思っていたからでした。でも,恐れを感じると,その決意が簡単に揺らいでしまうということに弟子たちは気付いていませんでした。それでイエスは今日の聖句にある言葉を述べました。残念なことに,弟子たちはずっと見張っていることができませんでした。イエスが捕らえられた時,怖くなって,逃げたいという気持ちに負けました。用心していなかったので,自分たちが決してしないと言っていたことをしてしまいました。イエスのそばにとどまるのではなく,見捨ててしまったのです。(マタ 26:56)塔研24.07 14ページ1-2節

6月17日,水曜日

神の子の死によって神と和解した。(ロマ 5:10)

アダムとエバは,天のお父さんエホバとの貴重な関係を失いました。もともとアダムとエバはエホバの家族でした。(ルカ 3:38)でもエホバに従わなくなり,その家族から追い出されました。2人に最初の子供が生まれたのはその後でした。(創 3:23,24; 4:1)それで,2人の子孫である私たちはエホバと和解する必要があります。(ロマ 5:10,11)エホバとの関係を修復する必要があるということです。ある参考文献によると,ここで使われている「和解」に当たるギリシャ語は,「敵と友になる」ことを意味する場合があります。エホバは私たちと友になることを願って,なんと自分の方から行動してくださいました。どんなことをしてくださったのでしょうか。エホバは贖罪という方法により,罪深い人類がご自分との友情関係を取り戻せるようにしてくださいました。贖罪には,あるものをそれと同じ価値の別のものと交換することが関係しています。そのようにして,失われたものを取り戻したり,壊れたものを取り換えたりすることができます。塔研25.02 3-4ページ7-8節

6月18日,木曜日

神の意志に沿った悲しみは,救いにつながる悔い改めを生じさせる。(コリ二 7:10)

パウロは,「その人には多数の人からすでに叱責が与えられており,それで十分です」と言いました。(コリ二 2:5-8)自分の父親の妻と性関係を持ったその人は,罪の重大さに気付いて悔い改めたので,それ以上の矯正はもう必要ありませんでした。(コリ一 5:1。ヘブ 12:11)それでパウロは会衆に,罪を犯した兄弟を「優しく許して慰め……皆さんの愛をその人に確信させてください」と指示しました。この指示には,その人が会衆に戻れるようにする以上のことが関係していました。パウロは会衆の兄弟姉妹に,悔い改めた人を本当に許して愛していることを言葉や行いや態度で表してほしい,と思っていたのです。会衆はそうすることによって,戻ってきてくれてうれしいと思っていることを本人に伝えることができました。塔研24.08 15ページ4,6節,16-17ページ7-8節

6月19日,金曜日

人々の前で非難にさらされて苦難に遭い[ました]。(ヘブ 10:33)

パウロは,忍耐するために何が必要なのかを確信を持って語ることができました。そしてクリスチャンたちに,試練に遭う時,自分自身ではなくエホバを信頼するよう勧めました。パウロもそうやって勇気を得ていたので,「エホバは私を助けてくださる。私は恐れない」と言うことができました。(ヘブ 13:6)今でも迫害を忍耐している兄弟姉妹がいます。私たちはその兄弟姉妹のために祈ったり,助けになることを実際に行ったりして支えることができます。しかし,聖書にはっきり書かれている通り,「神への専心を貫き,キリスト・イエスに従って生きようとする人は皆,同じように迫害を受けます」。(テモ二 3:12)ですから,私たち皆がこれから起きることに備えておく必要があります。今後どんな試練に遭うとしても,エホバは私たちが忍耐できるよう必ず助けてくださいます。そのことを確信し,引き続きエホバを信頼しましょう。エホバはご自分に仕える人たちを助け出すために行動してくださいます。(テサ二 1:7,8)塔研24.09 12-13ページ17-18節

6月20日,土曜日

良い知らせを聞いたコリントの多くの人が,信じてバプテスマを受けるようになった。(使徒 18:8)

バプテスマを受けるためにコリントの人たちはどのように問題を乗り越えましたか。(コリ二 10:4,5)コリントの人たちは神の言葉と聖なる力によって,生き方を大きく変えることができました。(ヘブ 4:12)キリストについての良い知らせを受け入れ,過度の飲酒,盗み,同性愛などの悪い習慣を断つことができました。(コリ一 6:9-11)コリントの人たちは悪い習慣を克服する必要がありましたが,クリスチャンになるのは無理だと考えたりはしませんでした。永遠の命につながる狭い道を進むために精いっぱい努力しました。(マタ 7:13,14)あなたもバプテスマを受けるために悪い習慣をやめようと闘っていますか。もしそうなら諦めないでください。誘惑に負けない強さを持てるよう,エホバに聖なる力を求めましょう。塔研25.03 6ページ15-17節

6月21日,日曜日

皆さんの中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求め続けてください。(ヤコ 1:5)

エホバは「とがめたりせず,全ての人に惜しみなく」知恵を与えると約束しています。その知恵があれば,どうしたらエホバに喜ばれるかを見極めることができます。エホバの導きを求めて祈ったなら,エホバがどのように答えてくださるかをよく聞きましょう。例えば,あなたは旅をしていて迷ってしまい,地元の人に道を尋ねるとします。その時,相手の答えも聞かずに立ち去るでしょうか。そんなことはしないでしょう。相手の説明によく耳を傾けるはずです。同じように,エホバに知恵を求めたなら,聖書のどんな命令や原則が自分の状況に当てはまるかを考えて,エホバの答えを見極めるようにしましょう。では,あるパーティーに行くかどうか,どのように決められるでしょうか。聖書が教えていることを調べてみましょう。ばか騒ぎや悪い交友について何と言っているでしょうか。また,自分がしたいことよりも王国のことをまず考えるのが大切なのはなぜでしょうか。(マタ 6:33。ロマ 13:13。コリ一 15:33)塔研25.01 16ページ6-7節

6月22日,月曜日

私に仕える者たちは食べるが,あなたたちは飢える。(イザ 65:13)

イザヤは預言の中で,エホバを崇拝する人たちとそうでない人たちの違いについて書いています。私たちには聖なる力,聖書,出版物など,エホバとの絆を強くするために必要なものがたくさん与えられています。それで,私たちは「食べ」,「飲[み]」,「喜ぶ」ことができます。(啓示 22:17と比較。)それとは反対に,エホバを崇拝しない人たちは,「飢え」,「喉が渇[き]」,「恥をか[き]」ます。エホバと親しくなることができず,心が満たされていないからです。(アモ 8:11)エホバはご自分に仕える人たちに,信仰を強めるために必要なものを惜しみなく与えてくださいます。(ヨエ 2:21-24)今エホバは聖書や出版物,ウェブサイト,集会,大会などを通して,まさにそうしてくださっています。私たちは信仰を強める食物を毎日受け取ることができているので,十分に養われ,爽やかにされています。塔研24.04 21ページ5-6節

6月23日,火曜日

快い言葉を語るように心掛けましょう。(コロ 4:6)

付き合いたいと思う相手がいる場合,人目のある場所で会ったり,電話したりして,2人で話す機会をつくりましょう。付き合いたいと思っていることをはっきり伝えてください。(コリ一 14:9)もし考える時間が欲しいと言われたら,返事を待ってあげましょう。(格 15:28)そして,その人が付き合うことを望まないなら,その気持ちを尊重しましょう。誰かから告白された場合はどうしたらいいでしょうか。告白するには勇気が要ったはずなので,親切に敬意を込めて返事をしましょう。返事をする前に考える時間が欲しいと思うなら,そのように伝えましょう。そして,早めに返事をしてあげましょう。(格 13:12)もし付き合う気がないなら,そのことを親切にはっきりと伝えましょう。一方,その人と付き合いたいと思うなら,どのように交際を進めていきたいかを話し合いましょう。それぞれの育った背景などによってお互いの考え方が違うこともあるからです。塔研24.05 23-24ページ12-13節

6月24日,水曜日

私は……大軍を率いるエホバの名によって向かっていく。(サム一 17:45)

ダビデは,おそらくまだ10代の頃,イスラエルの陣営に出掛けていきました。兵士たちは,フィリスティア人の巨人ゴリアテが「イスラエルの戦列をあざけ」るのを聞いておびえていました。(サム一 17:10,11,脚注)その巨人やあざけりの言葉に注目したので恐れてしまったのです。(サム一 17:24,25)でもダビデの見方は違いました。ダビデは,イスラエル軍をあざけっているゴリアテが実際のところは「生きている神の戦列」をあざけっている,ということを分かっていました。(サム一 17:26)ダビデは何よりもエホバのことを考えていました。羊の世話をしていた時にエホバの助けを経験していたので,今回も助けてくれると信じていました。そして,神の支えを確信してゴリアテに立ち向かい,勝利しました。(サム一 17:45-51)塔研24.06 21ページ7節

6月25日,木曜日

恐れてはいけない。私があなたと共にいる。心配してはいけない。私があなたの神である。私はあなたを強くし,必ず助ける。私の正義の右手であなたをしっかりと支える。(イザ 41:10)

エホバに仕えていなかったら今ごろどうなっていたかを考えましょう。そうすることは忠実にエホバに仕え続ける助けになります。きっと,次のように歌った詩編作者と同じ気持ちになるでしょう。「私にとって,神に近づくのは良いことだ」。(詩 73:28)終わりの時代にどんなことが起きるとしても,心配は要りません。私たちは「生きている真の神に仕え」ているからです。(テサ一 1:9)エホバは現実の存在で,私たちのことを気遣い,どんな時も助けてくれます。これまでご自分に仕える人たちと一緒にいたように,私たちとも一緒にいてくれます。間もなく,これまで経験したことのない大患難が起きます。でも,自分たちだけで立ち向かうわけではありません。「私たちは勇気を持ってこう言えます。『エホバは私を助けてくださる。私は恐れない』」。(ヘブ 13:5,6)塔研24.06 25ページ17-18節

6月26日,金曜日

あなたたちは……正しい人と悪い人……の違いを目にすることになる。(マラ 3:18)

聖書にはイスラエルを治めた王が40人以上出てきます。良い王でも良くないことをしたことがありました。ダビデ王がそうでした。エホバは,「私に仕えたダビデ[は]私から見て正しいことだけを行って,心を尽くして私に従った」と言いました。(王一 14:8)でも,ダビデは既婚の女性と性的不道徳を犯し,女性の夫を戦いで死なせるように仕向けたことがありました。(サム二 11:4,14,15)一方,エホバに忠実でなかった王たちも良いことをしたことがありました。例えばレハベアムは,エホバの目から見て「悪いことを行」いました。(代二 12:14)でも,王国が分裂して10部族が独立する時に与えられた神からの命令には従いました。また,町の防備を固めて人々のためになることをしました。(王一 12:21-24。代二 11:5-12)エホバは,イスラエルの王がご自分に忠実かどうかをどんな基準で判断したのでしょうか。エホバが注目していたのは,心の全てがエホバに向いているか,罪を心から悔い改めているか,真の崇拝をしっかり支持しているかという点でした。塔研24.07 20ページ1-3節

6月27日,土曜日

エホバが望む指導と助言によって育ててください。(エフェ 6:4)

バプテスマを受けた18歳未満の未成年者が重大な罪を犯した場合はどうでしょうか。長老団は,2人の長老が本人とクリスチャンの親と話し合うようにします。話し合いの際,長老たちは,子供が悔い改めるのを助けるために親がすでにどんなことをしたかを知るようにします。もし,子供の態度が良く,親が子供をしっかり助けているなら,2人の長老はそれ以上扱いを進める必要はないと判断するかもしれません。愛情深く子供を矯正するのは,神から与えられた親の責任だからです。(申 6:6,7。格 6:20; 22:6。エフェ 6:2-4)長老たちは,親が子供に必要な助けを与えているかどうかを周期的に確認します。では,バプテスマを受けた未成年者が悔い改めようとせずに,間違った行いを続ける場合はどうでしょうか。その場合,長老たちから成る委員会が,本人とクリスチャンの親と話し合います。塔研24.08 24ページ18節

6月28日,日曜日

受けるより与える方が幸福である。(使徒 20:35)

プレゼントをもらうと,うれしい気持ちになるものです。でも,人のために何かをしてあげられると,もっとうれしくなります。エホバは私たちが自分でも幸せな気持ちを大きくすることができるように造ってくださいました。私たちは誰かのために何ができるかを考える時,さらに喜びを感じることができます。エホバは本当に素晴らしく私たちを造ってくださっていると思いませんか。(詩 139:14)聖書に与えることが幸せにつながると書かれていることを考えると,エホバがなぜ「幸福な神」と呼ばれているかがよく分かります。(テモ一 1:11)与えることを始めたのはエホバで,誰よりも与えてきたのもエホバです。使徒パウロが言っているように,私たちはエホバのおかげで「命を持ち,動き,存在しています」。(使徒 17:28)「良い贈り物,完全な贈り物は全て」エホバから来ています。(ヤコ 1:17)人のためになることをして,もっと幸せになりたいと思いますか。気前よく与えるエホバに倣うことによってそうできます。(エフェ 5:1)塔研24.09 26ページ1-4節

6月29日,月曜日

私たちはこれまで進歩してきたのですから,この同じ道をきちんと歩んでいきましょう。(フィリ 3:16)

援助奉仕者の中には,これまで取り上げた資格について考えると,自分は長老にはなれないと思う人がいるかもしれません。でも,エホバもエホバが導いている組織も完璧であることを求めてはいない,ということを忘れないでください。(ペテ一 2:21)長老としての資格を満たせるよう,エホバが強力な聖なる力によって助けてくれます。(フィリ 2:13)特に改善したいところがありますか。そのことをエホバに祈ってください。努力したい点について調査して,長老にアドバイスを求めましょう。努力を続けてください! エホバに助けてもらい,エホバや会衆に仕える面でもっと多くのことができるように成長していきましょう。(イザ 64:8)長老として奉仕することを目指して努力するあなたにエホバが豊かに報いてくださいますように。塔研24.11 25ページ17-18節

6月30日,火曜日

皆さんはこれまでずっと聖なる人たちに仕え,今も仕え続けています。そのようにして,神の名を愛していることを示してきました。神は不公正な方ではないので,そうした働きや愛を忘れたりはされません。(ヘブ 6:10)

長年エホバに仕えているからといって,自分にはエホバの憐れみを受ける資格があると考えるのは正しくありません。もちろん,エホバは私たちがこれまで忠実に歩んできたことを大切に思ってくれています。エホバは贖いを私たちが行った奉仕への報酬としてではなく,無償の贈り物として与えてくれました。自分はエホバのためにたくさんのことをしてきたので,エホバに許してもらえると考えるのは間違っています。それはつまり,自分には贖いは必要ないと言っているようなものです。(ガラテア 2:21と比較。)パウロは,自分の努力次第で神の許しを得られるとは思っていませんでした。では,なぜパウロはエホバへの奉仕に打ち込んだのでしょうか。それは,エホバの惜しみない親切に感謝していたからです。(エフェ 3:7)私たちも自分の努力でエホバに許してもらえるとは考えません。パウロのようにエホバの惜しみない親切に感謝しているので,熱心に奉仕します。塔研25.01 27ページ5-6節

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