1月
1月1日,木曜日
理解力の点で……大人になってください。(コリ一 14:20)
赤ちゃんが生まれると,親はとても幸せな気持ちになります。でもかわいいからといって,ずっと赤ちゃんのままでいてほしいとは思わないはずです。あまり成長していないように思えるなら,とても心配になるでしょう。エホバも同じです。私たちが一歩踏み出してイエスの弟子になる時,エホバはとても喜びます。でもいつまでもクリスチャンとして子供のままでいるのではなく,「大人になって」ほしいと思っています。(コリ一 3:1)聖書で「大人になる」と訳されているギリシャ語には「十分に成長した」とか「完全な」という意味もあります。(コリ一 2:6)赤ちゃんが大人になるまで成長を続けるのと同じように,私たちもクリスチャンとして成長していく必要があります。この成長に終わりはありません。(テモ一 4:15)塔研24.04 2ページ1,3節
1月2日,金曜日
私の天幕が彼らと共にあり,私は彼らの神とな[る]。(エゼ 37:27)
あなたにとってエホバはどんな存在ですか。「エホバは私の神,お父さん,そして友達です」と答えるかもしれません。もっとほかのイメージもあることでしょう。では,エホバが私たちを家に招いてくれていることについて考えたことはありますか。ダビデ王は,エホバとエホバに仕える人の関係を,家に招く人と招かれる人の関係に例えました。こう言っています。「エホバ,あなたの天幕にとどまるのは誰ですか。あなたの聖なる山に住むのは誰ですか」。(詩 15:1)この言葉から,エホバが私たちを友として天幕に招いてくれていることが分かります。全てのものが創造される前,存在していたのはエホバだけでした。でも,ある時点でエホバはご自分の子イエスを創造し,喜んでご自分の天幕に招き入れました。聖書には,エホバはイエスに「深い愛情を抱[いていた]」と書かれています。招かれたイエスも「いつも神の前で喜ん」でいました。(格 8:30)塔研24.06 2ページ1-3節
1月3日,土曜日
強くて勇敢な若者ザドク。(代一 12:28)
想像してみてください。34万を超える人たちがダビデをイスラエル全体の王にしようとして集まっています。3日間にわたり,ヘブロンのそばの岩の多い丘陵地ににぎやかな声と賛美の歌声が響き渡っています。(代一 12:39)そこにいたザドクという若者は,おそらく大勢の人の中で目立ってはいなかったことでしょう。とはいえ,エホバはザドクに注目し,私たちにザドクがそこにいたことを知ってほしいと思っていました。(代一 12:22,26-28)ザドクは祭司で,大祭司アビヤタルと一緒に働きました。神の意志を認識できる予見者でもあり,普通を超えた洞察力を神から与えられていました。(サム二 15:27)また,ザドクは勇敢な人でした。この終わりの時代に,サタンはエホバに仕える人たちへの攻撃を強めています。(ペテ一 5:8)エホバがサタンとその邪悪な体制を終わらせる時を待つ間,私たちには勇気が必要です。(詩 31:24)私たちもザドクのように勇敢な人になれます。塔研24.07 2ページ1-3節
1月4日,日曜日
アダムは930年の生涯を送り,死んだ。(創 5:5)
エホバは最初の男女を創造した時,幸せになってほしいと思っていました。美しい住まいや結婚という贈り物,素晴らしい仕事を与えました。2人の子孫は全地に広がり,地球をエデンの園のような楽園に変えていくことになっていました。エホバがアダムとエバに与えた命令はたった1つでした。エホバは,2人が故意にその命令を破って罪を犯すなら死ぬことになると警告しました。私たちはその後どうなったかをよく知っています。ある時,神のことも人間のことも愛していない邪悪な天使が,罪を犯すよう2人を誘惑しました。アダムとエバは愛情深い天のお父さんを信頼するのではなく,誘惑に負けてしまい,罪を犯しました。そしてエホバの言った通りになりました。その日から2人は罪の結果として老いていき,やがて死にました。(創 1:28,29; 2:8,9,16-18; 3:1-6,17-19,24)塔研24.08 3ページ3節
1月5日,月曜日
神の言葉を実践する人になってください。聞くだけの人になってはなりません。(ヤコ 1:22)
エホバとイエスは私たちに幸せになってほしいと思っています。詩編 119編2節にはこうあります。「神の教えを守る人は幸せだ。その人は心を尽くして神を探し求める」。また,イエスはこう保証しています。「神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」(ルカ 11:28)エホバに仕えている私たちは聖書を毎日読み,学んだことを実践するように努力しているので,幸せでいることができています。(ヤコ 1:22-25)そうすることはエホバを喜ばせることにつながっています。(伝 12:13)また,神の言葉を読んで実践することで,家族との絆も,仲間の兄弟姉妹との友情も強まってきたでしょう。さらに,エホバの方法に従わない人たちが直面する多くの問題を避けることもできています。ダビデは歌の中で,エホバの命令,おきて,裁きに触れてから,「従うなら大きな報いがある」と言いました。本当にその通りです。(詩 19:7-11)塔研24.09 2ページ1-3節
1月6日,火曜日
[エホバは]心が傷ついた人を癒やす。傷を包んでくださる。(詩 147:3)
エホバはご自分に仕える人たちがどんなことを経験しているかを全て知っています。(詩 37:18)楽しいことも悲しいことも知ってくれています。つらく感じることがあっても一生懸命仕えている私たちのことを,エホバは誇りに感じているに違いありません。それだけでなく,私たちを支え,慰めたいと思っています。詩編 147編3節には,エホバは心の「傷を包んでくださる」と書かれています。この言葉から,心が傷ついた人をエホバが優しく世話してくださることが分かります。でもエホバに助けてもらうためには,私たちにもしなければいけないことがあります。例えで考えてみましょう。腕の良い医師は,けがをした人が回復するのを助けることができます。でもけがをした本人も,医師の指示にきちんと従う必要があります。エホバは,心の傷ついた人に聖書を通して語り掛け,アドバイスを与えています。塔研24.10 6ページ1-2節
1月7日,水曜日
全て地上から滅びた。(創 7:23)
正しくないとエホバに判断された人がどうなるかについて,以前の出版物で取り上げられたことがあります。そこでは,エホバに滅ぼされた人たちには復活の希望はないと説明されていました。聖書には,エホバが正しくない人を滅ぼした記述が幾つかあります。例えば,エホバはノアとその家族以外の全ての人を洪水によって滅ぼしました。また,約束の地に住んでいた7つの国民をイスラエル人によって滅ぼしたこともあります。天使が1晩のうちに18万5000人のアッシリア兵を討つようにしたこともあります。(申 7:1-3。イザ 37:36,37)エホバは,こうした人たち全てに永遠の滅びという裁きを下したのでしょうか。この人たちには復活の希望はないのでしょうか。聖書によると,そうとは断言できません。私たちにはエホバが一人一人をどのように裁いたかは分かりません。滅ぼされた人たちに,エホバについて学び,生き方を改める機会があったかどうかも分かりません。塔研24.05 3ページ5-7節
1月8日,木曜日
善によって悪を征服し続けましょう。(ロマ 12:21)
イエスは,ある例え話の中で,公正に扱われることを裁判官に何度も求めたやもめについて話したことがありました。当時の人たちは不公正な扱いを受けることがよくあったので,イエスの弟子たちの多くはこの話に共感できたことでしょう。(ルカ 18:1-5)今でも同じことがいえます。私たちは誰でも不当な扱いを受けることがあるからです。今の世の中では偏見や不平等や抑圧がよく見られるので,不当な扱いを受けても私たちは驚きません。(伝 5:8)でも,兄弟姉妹から不当なことをされると深く傷つくかもしれません。もちろん,反対者たちとは違い,兄弟姉妹はわざとひどいことをしようとは思っていません。でも,完璧ではないので失敗してしまうことがあります。そのような時には,反対者たちからひどい扱いを受けたイエスがどのように反応したかを考えることが役立ちます。私たちは不当な扱いをする反対者たちに対して辛抱強く接したいと思っています。そうであれば,仲間の兄弟姉妹に対してはもっとそうしたいと思うことでしょう。塔研24.11 2ページ1-2節
1月9日,金曜日
この人々が食べるパンをどこで買いましょうか。(ヨハ 6:5)
パンは聖書時代の主食の1つでした。(創 14:18。ルカ 4:4)聖書では,食べ物を指して「パン」という言葉が使われることがあります。(マタ 6:11。使徒 20:7,注釈)よく知られているイエスが行った奇跡の2つはパンに関するものでした。(マタ 16:9,10)そのうちの1つはヨハネ 6章に書かれています。使徒たちが伝道旅行から戻ると,イエスは使徒たちが休めるように舟でガリラヤ湖を渡りました。(マル 6:7,30-32。ルカ 9:10)そして,ベツサイダという町に向かい,自分たちだけで過ごせる静かな場所へ行きます。でもそれを知った何千人もの人が先回りして集まっていました。イエスはそうした人たちを無視するのではなく,優しく接しました。時間を取って王国について教え,病気の人を癒やしました。遅い時間になったので,弟子たちは,ここにいる人たちが食べ物を手に入れるにはどうしたらよいだろうと考えました。中には食べ物を少しだけ持っている人もいたかもしれませんが,ほとんどの人は村へ行って食べ物を買う必要がありました。(マタ 14:15)塔研24.12 2ページ1-2節
1月10日,土曜日
神が与える贈り物は,私たちの主であるキリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ロマ 6:23)
私たちの祖先であるアダムとエバは完全な人で,美しいパラダイスに住んでいました。(創 1:27; 2:7-9)幸せな生活がずっと続く見込みがありました。でもある時,事態は一変します。パラダイスという住まいも,永遠に生きる見込みも失ってしまいました。アダムの子孫は何を受け継ぐことになったでしょうか。聖書にはこうあります。「1人の人[アダム]によって人類に罪が入り,罪によって死が入り,こうして,全ての人が罪人になったために,死が全ての人に広がった」。(ロマ 5:12)私たちはアダムから罪を受け継ぎ,死ぬようになりました。この罪は,誰も支払うことのできない巨額の負債のようです。(詩 49:8)聖書で罪は「負債」に例えられています。(マタ 18:32-35)私たちは罪を犯す時,エホバに対して負債を負うことになるといえます。それで,その負債を返済しなければいけない状況にいます。それができなければ,死という代償を払うしかありません。(ロマ 6:7)塔研25.02 2ページ2-3節
1月11日,日曜日
私はあなたのお名前を……知らせました。(ヨハ 17:26)
神の王国について知らせることができるのは,本当に素晴らしいことです。これは誰でもできることではありません。例えば,イエスは地球にいた時,邪悪な天使たちがイエスについて話すのを許しませんでした。(ルカ 4:41)現代でも,エホバの証人と一緒に伝道を行いたいと思う人は,まずエホバに喜ばれる生き方をする必要があります。そして,可能ならいつでもどこでも王国について伝えることによって,伝道の務めを大切にしていることを表します。私たちもイエスと同じように,人々の心に真理の種をまき,水を注ぎたいと思っています。(マタ 13:3,23。コリ一 3:6)エホバの組織も,神の名前をほかの人に伝えるためにできる限りのことをしています。「新世界訳聖書」について考えてみましょう。この聖書では,神の名前がふさわしいところに復元されています。「新世界訳聖書」は現在,全巻または一部を270以上の言語で読むことができます。塔研24.04 9ページ8-9節
1月12日,月曜日
夫も立ち上がって称賛する。(格 31:28)
幸せな結婚生活を送っている兄弟たちは,妻を愛していることを毎日伝えるようにしています。(ヨハ一 3:18)ちょっとしたことでも愛情を伝えることができます。手を握ったり,優しくハグしたりすることができるかもしれません。また,「今何してる?」とか「ご飯食べた?」といったメッセージを送ることもできるでしょう。時々,自分の気持ちをカードに書いたり花をプレゼントしたりすることもできます。このように夫が妻を大切にするなら,2人の絆は強まります。妻を大切にしている夫は,妻が元気になる言葉を掛けます。例えば,いろんな面で支えてくれていることへの感謝を忘れずに伝えることができます。(コロ 3:15)夫が妻を心から褒めるなら,妻は幸せな気持ちになります。安心でき,愛され大切にされていると感じます。塔研25.01 11ページ15節,13ページ16節
1月13日,火曜日
私エホバは,あなたの神である。……あなたを導いて正しい道を歩ませる。(イザ 48:17)
詩編 15編は,「こういう人は決して動揺させられることがない」という言葉で終わっています。この言葉から,私たちに対するエホバの気持ちが分かります。エホバが私たちにこの詩編で挙げられていることを行ってほしいと思っているのは,私たちの幸せを願っているからです。それで,エホバが教えていることに従うなら,私たちはより良い人生を送り,エホバに守ってもらうことができます。エホバの天幕に招き入れられた人たちには素晴らしい将来があります。天に行くよう選ばれた人たちは,天にあるイエスが整えた場所に住むことができます。(ヨハ 14:2)地球で生きる希望を持つ人たちは,啓示 21章3節の約束が実現するのを楽しみにしています。私たちはみんなエホバからの温かい招待を受けていることを本当にうれしく思います。その招待を受け入れるなら,エホバの友達として,エホバの天幕にずっととどまることができるのです。(詩 15:1-5)塔研24.06 13ページ19-20節
1月14日,水曜日
エホバをたたえよ。輝かしい名を持つ方を。(詩 96:8)
聖書によると,エホバは本当に偉大で素晴らしい神です。エホバは,エジプトで奴隷だったイスラエル国民を救い出したすぐ後,ご自分の力強さを驚くような仕方で示しました。次の場面を想像してみてください。何百万ものイスラエル人が,神の言葉を聞くためにシナイ山の麓に集まっています。山は黒い雲に覆われています。突然,地面が激しく揺れ始めます。火山活動も起きていたことでしょう。さらに稲妻が光り,雷や耳をつんざくような角笛の音も聞こえてきます。(出 19:16-18; 24:17。詩 68:8)その場にいたイスラエル人は,エホバのとてつもなく大きな力を目の当たりにして圧倒されたことでしょう。私たちは,エホバの力強さや温かくて魅力的な性格について他の人に語ったり,何かがうまくできた時エホバのおかげだと考えたりしてエホバをたたえることができます。(イザ 26:12)塔研25.01 2ページ2-3節
1月15日,木曜日
エホバが私を遣わし[た]。(民 16:28)
イスラエル人が約束の地に向けて旅をしていた時,主立った人たちが,エホバから役割を与えられていたモーセに反抗するようになりました。そして「[モーセだけでなく]民全体,その全員が聖なる人で,エホバはその中にいるのだ」と言いました。(民 16:1-3)確かにエホバは「民全体」を聖なるものと見ていましたが,ご自分の民を導くようモーセを選んでいました。反逆した人たちはモーセを批判しましたが,それは実際にはエホバを批判していることになりました。エホバが望んでいることではなく,自分たちが権力や目立った立場をさらに手に入れることばかり考えていました。エホバはその反逆を先導した人たちや,それに同調した大勢の人たちを処罰しました。(民 16:30-35,41,49)今でも,エホバの組織の指示や取り決めに従わない人たちがエホバに認められることはありません。塔研24.07 11ページ11節
1月16日,金曜日
この幻は定められた時のためのもので[ある]。(ハバ 2:3)
多くの人は今の体制の終わりについての聖書の警告に聞く耳を持ちません。ばかにすることさえあります。(ペテ二 3:3,4)私たちには分からないことがたくさんありますが,終わりが時間通りに来ることやエホバがずっと世話してくださることへの強い信仰を持つ必要があります。私たちは,エホバが「忠実で思慮深い奴隷」を通して導いてくださっていることへの信仰を強める必要もあります。(マタ 24:45)大患難が始まる時,生き残るための具体的な指示が与えられるでしょう。それで,エホバが責任を委ねている人たちからの指示に対する信頼や確信を今強める必要があります。そうした指示に従うことを今難しく感じているなら,大患難の時に従うのはもっと難しくなるでしょう。塔研24.09 11ページ11-12節
1月17日,土曜日
神の善い意志,喜ばしい完全な意志を見極める。(ロマ 12:2)
親は自分が神への信仰を持っているからといって,子供が信仰を持つとは限らないということを知っています。やがて次のような質問をするかもしれません。「神がいるってどうして分かるの? 聖書に書いてあることは本当に信じられるの?」そういう疑問を持つのは悪いことではありません。聖書は「理性」を働かせて「全てのことを確かめ」るよう勧めています。(ロマ 12:1。テサ一 5:21)では,子供が強い信仰を持てるようどのように助けられるでしょうか。聖書に書いてあることが本当であることを子供が自分で見極められるよう助けましょう。お子さんが質問してきたなら,「ものみの塔出版物索引」や「エホバの証人のためのリサーチガイド」などの調査ツールを使って答えを見つける方法を教えましょう。リサーチガイドの「聖書」という事項にある「神の霊感を受けたもの」という部分を調べると,聖書が人間の書いた単なる良い本ではなく「神の言葉」である証拠を見つけることができます。(テサ一 2:13)塔研24.12 14-15ページ4-5節
1月18日,日曜日
確かめられた事柄を,忠実な人たちに託しなさい。そうすればその人たちは十分に資格を得て,他の人を教えることができるようになります。(テモ二 2:2)
長老たちはイエスにどのように倣えるでしょうか。長老たちは,比較的若い人たちを含め兄弟たちがさらに大きな責任を担えるよう訓練し,サポートする必要があります。訓練を受ける人たちに完璧であることを求めたりはしません。長老たちは若い兄弟たちに愛情深いアドバイスを与えることによって,進んで仕え,謙遜で信頼できる人になることの大切さに気付けるよう助けます。(テモ一 3:1。ペテ一 5:5)イエスは弟子たちに,良い知らせを伝えるだけでなく,教える責任も委ねました。弟子たちは,自分にはそんな仕事を果たす資格はないと感じたかもしれません。でもイエスは,弟子たちならできると信じていました。それで,「天の父が私を遣わしたように,私もあなたたちを遣わします」と言って,弟子たちを全面的に信頼していることを伝えました。(ヨハ 20:21)塔研24.10 16ページ15節,17ページ17節
1月19日,月曜日
[私の]心にかなう人……ダビデ。(使徒 13:22)
ダビデは素晴らしい王でした。音楽家,詩人,強い戦士,預言者でもありました。また,何度も大変な経験をしました。ねたみに駆られたサウル王から命を狙われ,何年にもわたって逃亡生活を送りました。王になった後も,息子のアブサロムが王権を奪おうとした時に命が危うくなったため逃げなければなりませんでした。こうした問題に加えて大きな間違いも何度かしましたが,ダビデは生涯を終えるまでずっとエホバに忠実に仕え続けました。エホバはダビデのことを「心にかなう人」と言いました。それで,ダビデのアドバイスを注意深く聞くのは私たちにとって良いことです。(王一 15:5)ダビデが自分の後継者となる息子ソロモンにどんなアドバイスを与えたかを考えましょう。ソロモンは若い時に,エホバから王として選ばれました。そして清い崇拝を推し進め,エホバを崇拝するための神殿を建てるという役割を与えられました。(代一 22:5)こうしたことを行うためには,いろいろな問題に対処する必要がありました。ダビデはソロモンにどのようなアドバイスを与えたでしょうか。ダビデはソロモンに,エホバに従うなら成功すると言いました。(王一 2:2,3)塔研24.11 10ページ9-11節
1月20日,火曜日
あなたの道をエホバに委ね,神に頼れ。神があなたのために行動してくださる。(詩 37:5)
妻に暴力を振るったりひどいことを言ったりしている人は,エホバや妻との関係を修復するために,真剣に取り組む必要があります。まずは,自分が深刻な問題を抱えていることや,エホバの目から隠せるものは何もないということを認めます。(詩 44:21。伝 12:14。ヘブ 4:13)2つ目に,妻にしているひどいことをやめ,態度を改めます。(格 28:13)3つ目に,妻とエホバに謝り,許しを求めます。(使徒 3:19)また,自分を変化させるための意欲を与えてくださるようにエホバにお願いすると同時に,自分の考えや言葉や行動をコントロールするための助けを与えてくださるように祈ることも大切です。(詩 51:10-12。コリ二 10:5。フィリ 2:13)4つ目に,どんな暴力的な言葉や行いも憎むように努力することによって,自分の祈りに沿って行動します。(詩 97:10)5つ目に,会衆の愛情深い長老たちにすぐに助けを求めることも忘れないでください。(ヤコ 5:14-16)6つ目に,同じ間違いを繰り返さないようにするにはどうすればよいか具体的に考えます。塔研25.01 11ページ14節
1月21日,水曜日
何をためらっているのですか。立って,バプテスマを受け……なさい。(使徒 22:16)
あなたはエホバを愛していますか。エホバはたくさんの良いものを与えてくれています。生きていられるのもエホバのおかげです。エホバを愛していることをはっきり示す一番の方法は,献身しバプテスマを受けることです。バプテスマを受けると,エホバの家族の1人になり,エホバのものになります。お父さんであり友でもあるエホバは,そんなあなたのことを導き,大切にしてくれます。(詩 73:24。イザ 43:1,2)また,献身しバプテスマを受けるなら,いつまでも生きられるという希望を持てます。(ペテ一 3:21)何かの理由でバプテスマをためらっていますか。クリスチャンになるために行動や考え方を変えるのは大変だと思いますか。そう感じているのはあなただけではありません。でも多くの人が生き方を変えてバプテスマを受け,喜んでエホバに仕えています。塔研25.03 2ページ1-2節
1月22日,木曜日
あなたは本当に許す方。(詩 130:4)
聖書では,罪はよく重い荷物に例えられています。ダビデは自分の犯した罪について次のように言いました。「私の過ちは頭の上に高く積み重なる。負い切れない重い荷物のように」。(詩 38:4)でもエホバは,悪い行いを悔い改めた人の罪を許してくださいます。(詩 25:18; 32:5)このような場合に使われる「許す」という意味のヘブライ語の表現は基本的に,「持ち上げる」とか「運ぶ」という考えを含んでいます。エホバは私たちの罪を許すとき,重たい荷物を代わりに背負って持っていってくれるかのように,罪を取り去ってくださいます。エホバは私たちの罪をどれほど遠くに取り去ってくださるのでしょうか。詩編 103編12節にはこうあります。「日の出は日の入りから遠く離れている。同じように,神は私たちの違反を私たちから遠くに離してくださった」。東と西は全く反対の方角なので,ある意味で一番遠いといえます。この2つが重なることは絶対にありません。エホバは私たちの想像できる一番遠い所にまで罪を持っていってくださるのです。エホバがこのように許してくださることを考えると,本当に安心できます。塔研25.02 9ページ5-6節
1月23日,金曜日
憐れみの施しをするとき……施す前にラッパを吹いてはなりません。(マタ 6:2)
イエスが天に戻った後,ペテロは生まれた時から足が不自由な男性を癒やしました。(使徒 1:8,9; 3:2,6-8)大勢の人がこの奇跡を見て,ペテロの近くに集まってきました。(使徒 3:11)この場面でペテロが自分に注意を引こうとしてもおかしくありませんでした。有名になることや立場が重視される社会で育っていたからです。でも,そんなことはしませんでした。ペテロは謙虚に,自分ではなくエホバとイエスが称賛されるようにしました。こう言います。「イエスの名を通して,その名に対する私たちの信仰によって,あなた方が見て知っているこの人の足は丈夫になりました」。(使徒 3:12-16)私たちもペテロのように謙虚さを磨いていけます。私たちが人のために何かをするのはエホバと仲間を愛しているからです。褒められたいからではありません。本当に謙虚であれば,人に気付かれるかどうかに関わりなく,自分にできることを何でもしてエホバと仲間に仕えることができます。(マタ 6:1-4)塔研25.03 10-11ページ11-12節
1月24日,土曜日
自分自身と自分の教えに絶えず注意を払いなさい。(テモ一 4:16)
エホバと人々への愛を強めるなら,伝道をもっと熱心に行いたいという気持ちになります。(マタ 22:37-39)考えてみてください。私たちが伝道を頑張る様子を見て,エホバはどれほど喜んでくださるでしょうか。人々が聖書を学ぶなら,どれほど幸せな生活を送れるようになるでしょうか。そして,聖書の教えに合わせて生き方を変える人は永遠に生きられるようになる,ということも考えることができます。(ヨハ 6:40)あなたは何らかの理由で家から出られない状況にありますか。もしそうなら,エホバと人々への愛を示すためにどんなことができるかに目を向けるようにしてください。サムエル兄弟とダニア姉妹は,新型コロナのパンデミックで外出を制限されている中でも,電話や手紙で伝道したり,Zoomを使って聖書レッスンをしたりしました。サムエル兄弟もダニア姉妹も難しい状況にありましたが,できることを行って喜びを味わうことができました。塔研24.04 18ページ15-16節
1月25日,日曜日
有能な妻を誰が見つけられるだろうか。彼女はサンゴよりもはるかに貴い。(格 31:10)
結婚しなければ幸せになれないというわけではありませんが,多くの独身のクリスチャンが年齢にかかわらず,ぴったりの相手に出会える時を楽しみにしています。もちろん誰かと付き合う前に,エホバとの強い絆を持ち,自分自身のことをよく知り,生計を立てていく用意ができている必要があります。(コリ一 7:36)自分がどんな相手を望んでいるかをはっきりさせておくとよいでしょう。そうしないと,いい相手がいるのに気付かなかったり,自分とは合わない相手と付き合い始めてしまったりするかもしれません。もちろん,付き合う相手はバプテスマを受けたクリスチャンであるべきです。(コリ一 7:39)でも,バプテスマを受けている人なら誰もが,あなたにぴったりの結婚相手になるとは限りません。次のように考えてみましょう。「私はどんな人生を送りたいと思っているだろう。私は結婚相手に何を求めているだろう。その期待は現実的だろうか」。塔研24.05 20ページ1,3節
1月26日,月曜日
親切な人になり[ましょう]。(エフェ 4:32)
付き合っている相手と時々意見が合わない場合どうすればいいでしょうか。それは2人の関係がうまくいっていないということでしょうか。必ずしもそうではありません。みんな意見は違うものです。互いの意見を尊重し,相手に進んで合わせるなら,絆の強い夫婦になれるでしょう。それで,交際中にぶつかる問題にどう取り組んでいるかによって,結婚生活がうまくいくかどうかが見えてくるかもしれません。2人で次の点を考えてみましょう。「問題について穏やかに敬意を込めて話し合えているだろうか。欠点を素直に認めて改善しようとしているだろうか。進んで譲ったり謝ったり許したりしているだろうか」。(エフェ 4:31)付き合っている時に,意見が合わなかったり言い合いになったりすることがしょっちゅうあるなら,結婚した後もそれは変わらないかもしれません。もし自分にとってその人はふさわしくないと気付いたなら,別れるのが2人にとって一番良い場合もあります。塔研24.05 29ページ12節
1月27日,火曜日
私の岩エホバが賛美されますように。神は私の手を戦いのために……鍛えてくださいます。(詩 144:1)
私たちがいつもエホバに従い,聖書に基づいて決定するなら,ほかの人に良い影響を与えることができます。神の言葉を学んで,エホバへの信仰を強めていくなら,エホバの基準を守って忠実に仕え続けることができます。優柔不断になったり不安定になったりすることも,この世の中の間違った教えや考え方に振り回されることもありません。(エフェ 4:14。ヤコ 1:6-8)試練に遭っている仲間を支えることもできます。(テサ一 3:2,3)長老たちは節度をわきまえ,健全な考え方をし,秩序正しく行動し,分別がある人になる必要があります。「神の信頼できる言葉にしっかり従[う]」ことによって仲間を安定させます。(テト 1:9。テモ一 3:1-3)良い手本を示し,よく気遣うことによって,兄弟姉妹が集会や伝道に定期的に参加し,個人研究の習慣を守れるように助けます。仲間が問題に直面して不安になっている時には,エホバに頼ってエホバの約束に目を向けられるようにしてあげることができます。塔研24.06 31ページ16-18節
1月28日,水曜日
悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです。(マタ 4:17)
イエスは宣教期間中ずっと,天のお父さんエホバが進んで許してくださる方であることを教えました。いなくなっていた息子の例え話を考えてみましょう。その若者は罪深い生き方を選び,しばらくの間それを続けました。でも「本心に立ち返[り]」,家に戻ります。父親はどう反応したでしょうか。その若者が「まだ遠くにいる間に,父親は息子を見て……,走っていって抱き締め,優しく口づけしました」。この息子は父親の家の召し使いとして働かせてもらえるか聞くつもりでしたが,父親は「私のこの息子」と呼んで,再び家族に迎え入れました。父親はその息子について「いなくなっていたのに見つかったのだ」と言いました。(ルカ 15:11-32)イエスは天にいた時,罪を犯して悔い改めたたくさんの人たちにお父さんエホバが思いやり深く接するのを見ていたに違いありません。イエスが語った心温まる例え話を読むと,エホバが本当に憐れみ深い方であることが分かり,安心できます。塔研24.08 11ページ11-12節
1月29日,木曜日
健全な考え方をしましょう。(ペテ一 4:7)
健全な考え方をするクリスチャンはエホバの考えに沿った決定ができるようにベストを尽くします。また,エホバとの絆を何よりも大切にします。自分が何でも知っているわけではないことをわきまえ,いつも謙虚な態度でエホバに祈って頼ります。どんなに優れた能力があるとしても,祈ってエホバに頼ることを忘れないようにしましょう。重要な決定をしなければいけない時は特に,自分にとって何が一番いいかを知っているのはエホバだということを認め,祈ってエホバに導いてもらうことが大切です。私たちはエホバに倣えるように造られています。そのことを本当に感謝できます。(創 1:26)もちろん完璧に倣うことはできません。(イザ 55:9)塔研25.03 11ページ13節,13ページ17-18節
1月30日,金曜日
愛は……全てのことを希望し,全てのことを忍耐します。(コリ一 13:7)
相手の反応を悪く解釈しないようにしましょう。何かをしてあげたことに相手が感謝していないように見えても,そう決め付けないでください。ただ伝え忘れているだけかもしれないと考えることができます。思ったような反応が返ってこない理由はほかにもあるかもしれません。感謝していても,それを表現するのが苦手な人もいるでしょう。以前は自分が助ける側だったので,助けてもらうのを気まずく感じているのかもしれません。兄弟姉妹を本当に愛しているなら,相手の反応を広い心で受け止め,これからも喜んで与えることができるでしょう。(エフェ 4:2)すぐに反応があることを期待しないようにしましょう。与えることについてソロモン王はこう書きました。「あなたのパンを水の上に投げなさい。月日がたてば,あなたはそれを再び得ることになる」。(伝 11:1)この言葉の通り,何かをしてかなり「月日がた[って]」から感謝されるということがあります。塔研24.09 30ページ18-19節
1月31日,土曜日
罪深い行いをやめない人を,皆の前で戒めてください。それは他の人への警告となります。(テモ一 5:20)
誰かが戒めを受けたことが会衆で発表される場合があります。そのようなとき,会衆の人はどうしたらよいでしょうか。引き続きその人と交友を持つことができます。その人が悔い改めて間違った行いをやめているということが分かっているからです。その人は今でも会衆の仲間であり,兄弟姉妹との交友から力をもらう必要があります。(ヘブ 10:24,25)でも,会衆から除かれた人に対しては,接し方を変える必要があります。「そのような人とは交友するのをやめなさい。一緒に食事をしてもなりません」という指示に従います。(コリ一 5:11)この指示は,会衆から除かれた人を完全に無視するように,という意味でしょうか。いいえ,そういうわけではありません。もちろん,その人と交友を持つことはしません。でも,会衆から除かれた人を集会に招待するかどうかは,聖書によって整えられた良心に基づいて,各自で決めることができます。もしかすると,その中には親族や親しかった人が含まれるかもしれません。塔研24.08 30ページ13-14節