ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔73 8/1 456–459ページ
  • マラウィ市民は重大な決定を迫られる

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • マラウィ市民は重大な決定を迫られる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
  • 副見出し
  • 帰国後の虐待
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
塔73 8/1 456–459ページ

マラウィ市民は重大な決定を迫られる

世界中のクリスチャンは,アフリカの南東部にある国マラウィのエホバのクリスチャン証人たちが最近激しい迫害を受けていることに深い同情を寄せています。

ニューヨーク州と同じほどの大きさのこの国の市民は全部影響をこうむっています。人口453万人のうち,194人につき少なくともひとりが迫害を受けている者の中にはいっているからです。

したがって各市民が直面している問題は,自分は正しいことを支持し,圧制に反対するか。自分はキリストが,『この小さき者の一人[クリスチャンである弟子]に冷かなる水一杯にても与うる者は,誠に汝らに告ぐ,必ずその報いを失わざるべし』と言った者のひとりになるだろうか,ということです。―マタイ 10:42。

エホバの証人は,住んでいる国の法律に従う,平和を愛する人びととして知られています。それにもかかわらずマラウィでは,打ちたたかれ,拷問にかけられ,ある人たちは殺されました。多数は命が危険になったので,所有物を全部残して国外に逃げました。その数は2万を超え,そのうちの1万9,000人は,マラウィの西側にあるザンビアにのがれ,そこで望まれない訪問者として収容所に入れられました。苦しい生活のために350人が死亡しました。その多くは子どもたちでした。

しかしそれでも迫害者たちは満足しませんでした。ザンビアのもっと健康的な収容所へ移すと偽って難民をバスとトラックに乗せ,再びマラウィへ連れもどしました。マラウィでは軍隊が待ちかまえていて,難民を彼らの村に追い返しました。21人の会衆の主宰監督はマラウィへ送り返されたあとすぐに投獄され,のちほどさらに3人がルンピ地区で投獄されました。

ある証人たちは手にくぎを打ち込まれ,他の証人たちは縫い針を突き刺されました。4人の証人のグループは,マラウィ会議党の12の支所に連れて行かれましたが,60余㌔の道を強制的に歩かされ,4日間食べる物を何も与えられませんでした。

それで証人の多くは再び逃亡を余儀なくされ,大多数は南側のモザンビクに逃げました。モザンビクでは現在3万4,000人以上が12の難民収容所で生活しています。

長老教会の長老であり,宗教的な人であるH・カムズ・バンダ博士を大統領とする国で,なぜこのような憎しみが示され,クリスチャンが虐待されるのでしょうか。

迫害の口実になっているのは,エホバの証人は政党カードを買おうとしないということです。しかし,ガイ・ライトは,1972年10月17日のサンフランシスコ・エグザミナー紙の中で次のように述べています。

「エホバの証人と,マラウィというアフリカの小国との間で宗教戦争が行なわれている。

「それは信仰に暴力で対抗するあまりにも一方的な戦いである。……彼ら[証人たち]は模範的な市民とみてよい。彼らはまじめに税金を払い,病人の世話をし,文盲と戦う」。

1972年9月10日から16日にかけて開かれた ― どこで? ゾンバのカトリック中学校で ― 1972年マラウィ会議党年次大会での終身大統領バンダの演説にかんする報道は,迫害の背後にある根本的な理由は宗教的なものであることを指摘しました。エホバの証人を「悪魔の証人」と呼びながら,バンダは,「なぜ彼らは悩みの時に教会に行って神の助けを求めないのか,と尋ね」ました。―1972年9月19日付マラウィ・ニュース。

エホバの証人はなぜ党員カードを買おうとしないのでしょうか。それは彼らが政治的にどちらかに偏向しているからではありません。彼らはあらゆる政治運動に対して完全に中立を保っています。彼らにとってはそれはあくまでも良心および神の律法の問題です。彼らはエホバ神とその王国に専心の献身をしているので,この世の党派にくみすることをしないのです。イエスがご自分の追随者について,『われの世のものならぬごとく,彼らも世のものならず』と言われたとおりです。―ヨハネ 17:16。

帰国後の虐待

これまで残虐行為をほしいままにしてきたのは,マラウィ会議党幹部の承認と支持を得た同党の党員でした。

インタビューされた難民の証言によると,彼らがマラウィのリロングウェ旧空港に連れもどされた時,そこは警官隊と,銃を手にしたマラウィの軍隊の兵士たちとによってとり囲まれていました。地区の大臣クンブウェザ・バンダとM・Q・Y・チワンボもそこにいて,集まった群衆に話をしました。青年同盟,青年開拓者,婦人同盟はいうまでもなく,国会議員のムソン氏,ガダマ氏その他も来ていました。証人たちはバンダ氏とチワンボ氏から次のように言われました。

「あなたがたは自分の意志でザンビアに行ったのである。だれが追放したのでもない。そしてまた自分の意志でもどってきた。だれが呼びもどしたのでもない。したがって各自家にもどり,マラウィ会議党カードを買って,地方長官,村長,マラウィ会議党議長に協力しなければならない」。

自分の家にもどった人びとは,リロングウェのナチテ村に住む88歳の証人バウレニ・ズワが語ったような経験をしました。

「1973年1月1日の朝のこと,青年同盟の一隊が近くのナチオラ村でエホバの証人を狩り出していると聞いたので,急いで若い兄弟のところへ行き,そのことを至急警察に知らせるようにと言いました。それからほんのしばらくして私は青年同盟の一隊に取り囲まれ捕えられました。その数は30人以上でした。彼らを率いていたのは,地区議長,サム・チトンデ,青年同盟議長グレー・ムタンボ,青年同盟事務長ラファエレ・グンダでした。彼らは私に党員カードを示し,一枚買うように命令しました。良心上買えない,と私が断わると,なかの3人が木の棒で私をたたきはじめ,他の青年同盟会員はそれを見ていました。私は手とひざにいちばんひどいけがをしました。彼らは,私が弱り果てて立ち上がれなくなり,気を失うまでたたきつづけました。

「意識を取りもどしたとき,彼らはまだ私の回りに立っていて,『こいつまだ生きている』と言いました。私は無理に立たされ,チワンバ伝統的裁判所まで歩いて行くように命令されました。そこには両腕をうしろ手に縛られ,両足もくくられた4人の兄弟がいました。彼らは私にも同様のことをし,そしてわたしたちはそのような苦しい姿勢で少なくとも一時間半放置されました。

「やっと警察官が到着しました。彼らはなわを解くよう青年同盟の者たちに命令しました。私とほかの二人の兄弟はけががひどかったので警官はわたしたちを病院に行かせました。そして翌朝わたしたちは警察に連行されました。わたしたちは起きたことを説明しましたが,わたしたちのために警察にできることは何もないと言われ,家に帰るように言われました。それで,リロングウェからバスに乗ってムランゲニ[モザンビク]に来ました。私は今ここムランゲニ収容所にいます。この兄弟姉妹の社会にはいれたので幸福です」。

別の証人,ナチテ村のベリナ・レナディ夫人は,ザンビアに逃げる前に家を焼かれていました。家に帰った時,レナディ婦人と18歳の娘,それに3人の子どもたちは裸にされ,意識を失うまで打ちのめされました。その間夫は警官につかまっていました。これらの婦人を殴打したのは青年同盟の会員たちで,名前は次のとおりです。ナチテ村のカンディト,マチオラ村のカリイェカ,そしてムペサ村のムタンボ。

北部地区のムズズに住んでいたミカエル・ヤダンガは,ザンビアから連れもどされたあと,家族とともに,いたるところに野獣がうろついている野獣保護地域のまん中に放り出されました。バスに乗れるところまで行くには10㌔近く歩かねばなりませんでした。ヤダンガを説得して党員カードを買わせるために,国会議員のヌイレンダ氏は,村長のガンジ・ムハンゴ,支部長のアリク・ヌヤスル,そして元の支部長二人,アリク・ムハンゴとムホンをつかわしました。ヤダンガは彼らに言いました。「私は党員カードを買わないので歯をなくしました。私は党員カードを買わないので職を失いました。私はめちゃめちゃに殴打され,財産を破壊され,そしてザンビアに逃亡することを余儀なくされました。これもみな私がカードを買わなかったからです。今さらカードを買うつもりは毛頭ありません」。ヤダンガの返事をヌイレンダ氏に報告してから,彼らは家にいるヤダンガを捕えるために20人の隊を組織しました。青年同盟のある友好的なメンバーから,「彼らはあなたを殺しに来る」と警告されて,ヤダンガは家族といっしょにモザンビクに逃げました。

ムチンジ地区,チウェタ村のナタンダ・マズラは,リロングウェ空港から50㌔の道のりを徒歩でもどって家につくかつかないうちに,青年同盟は,彼と他の5人を,マラウィ会議党のレムウェ支部に行くよう強制しました。支部に着くと地区議長のジェムシが質問しました。「またもどってきたね。なぜ最初からこの国を出て行ったんだ」。エホバの証人であるから政治に手を出すのを拒否した,そして党員カードを買うことによって政党の党員になりたくなかった,とマズラは答えました。マズラが党員カードの購入を拒否したことに激怒したジェムシは,チンパセ,ワイレシ,カオチ,チャガンバという名前の4人の男たちに,マズラをたたくように命じました。ジェムシ自身もマズラをくつで踏んだりけったりし,それから衣服をひきはいでさらに打ちたたき,最後に建物の外にひきずり出しました。彼らは他の5人にも同様の残虐な仕打ちをしました。しかし5人の証人の確信はゆらぎませんでした。彼らはなおも脅迫されたのでモザンビクにのがれました。

以上は,マラウィ各地から寄せられた多くの報告のなかの二,三にすぎません。ムジンバ地区では7軒の家が焼き払われ,エホバの証人たちはたたかれたり,拷問されたりしました。食物がなく,病院に行くことも許されなかったために,ムツンズ村では4人,そしてルサンガ村でも同数の子どもが死にました。北部地方のこの同じ(ルンピ)地区では,ムツンズで27軒,ムジュマで9軒,ルンピの町で14軒の家が焼かれました。この地域の証人たちは,深い林や高い山に逃げることを余儀なくされました。

こうしたひどい事を見ているマラウィの市民はひとつの決定に直面しています。彼らは多年の希望であった独立を成し遂げたので,こんどは良心の自由と神を崇拝する自由を抑圧するつもりなのでしょうか。つまり何の抗議もせずに政府がそれをするのを許すつもりでいるのでしょうか。反対に,そのような行為を恥じ,迫害されているクリスチャンたちを慰め助けるために,自ら進んで,いわば「冷かなる水一杯」を与え,そうすることによって自分がキリストの側に立っていることを示す人たちがいるでしょうか。次の記事が示しているように,そういう人たちもいるのです。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする