統計は人を欺くことがありますか
オーストラリアの「目ざめよ!」通信員
統計は強烈な印象を与えます。統計は極めて確実かつ明確で,論ばくの余地など全くないように思えます。数字はうそをつかない,と言われます。しかし,用心しなければなりません。正直な仕方で用いれば,統計は非常に役に立つ,有用なものとなり得ますが,統計が人を欺くような仕方で提供されることもあるのです。
人類は幾千年にもわたって統計を用いてきました。モーセの時代に,課税や兵役や祭司の責務などのために,統計が取られました。(民数記 1:2,3; 3:15; 31:25-41)ローマ帝国は人口調査を行なって統計を取りました。そして,そのような人口調査の一つがある重要な預言の成就に関与することになりました。「すべての人が登録をするため,それぞれ自分の都市に旅立った」ので,マリアとヨセフという名の若い夫婦は,イエスが生まれた時にベツレヘムにいることになったのです。―ルカ 2:3。
ゆがめられた数字
百分率,平均,表,比率など,統計はさまざまな仕方で提供されることがあります。そして,知ってか知らずか,本質的には正確な数字を使って,偏りのある,あるいはゆがんだ印象を与えることがあります。
例えば,百分率の記号には,十分に説得力のある,一目置かなければならない,決定的な響きがあります。しかし,百分率は必ずしも公平な仕方で用いられてはいません。家を建てている二つの会社の生産高を考えてみてください。
1981 1982 増加率
ノースレーク建築会社 30 60 100%
カテージ建設(株) 208 312 50%
百分率の数字を使うだけでは,誤った印象,つまりノースレーク建築会社の方がこの2社のうち良い成績を収めたという印象を与えてしまうでしょう。実際には,カテージ建設の生産高の増加は,ノースレーク社の増加を3倍以上上回っていたのです。
比率の意味するところも人を欺くものとなりかねません。広告の文句は,「10人中9人の医師はこの方法を選ぶ」と誇らし気にうたっているかもしれませんが,意見を求められなかった国内の他の幾千人もの医師たちはどう考えているのか,と疑問に思うのはもっともなことでしょう。また,「一流の歯科医お勧めの歯みがき」という宣伝文句は真実かもしれませんが,一流の歯科医たちは今日手に入る歯みがきの銘柄すべてとは言わないまでも,そのほとんどを勧めるというのも真実かもしれません。本のカバーに載せられた要約ではとてもその内容すべてを言い尽くせないのと全く同様,そのような比率を表わす数字では,あいまいなところの全くない報道をすることはできません。
「ほかのどこよりも,ベッドの上で死ぬ人が多い」という言葉についても考えてみましょう。それはその通りかもしれませんが,だからと言ってベッドの上は危険だということになりますか。もう少しよく考えるなら,主に,重い病気にかかって死にそうな人はベッドに寝かされることが多いためにそうなるという点に気づかれるでしょう。また,オーストラリアの奥地の町アリススプリングズの方が大都市のシドニーよりも文盲が少ないということを統計が示していたとしましょう。このことから,奥地に住む田舎の教師たちの方がシドニーの都市の教師たちよりも有能であるとの結論を出しますか。そのように思えるかもしれませんが,シドニーにはより大勢の人々が住んでいるというだけのことなのです。アリススプリングズでは,読み書きのできる人の数もシドニーより少ないのです!
それに加えて,統計の実際の提供の仕方も,人々を説得するための手段となり得ます。例えば,何の変哲もない35%という数字が,提供の仕方によって,良くも悪くも聞こえるようになり得ます。「少なくとも35%が出席していた」と言うほうが,「35%しか出席していなかった」とつぶやくよりもずっと聞こえがよくなります。しかし,よく考えてみると,どちらの場合も本質的には同じことを言っているのです。
時には統計を分かりやすくするために,グラフや表が用いられることもあります。しかし,分かりやすくするためというよりも,人を特定の結論に導くために表が使われる場合もあります。下の表は,やる気のあるセールスマン二人の4年間の成績を示しています。どちらの方が成功を収めているように見えますか。
[グラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
600
500
400
300
200
100
1979 1980 1981 1982 1983
[グラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
260
250
240
230
220
210
1979 1980 1981 1982 1983
グラフをよく調べてみると,実際にはこの二つはまったく同じなのです! どちらの場合にも,販売成績は次の通りです。
(1980年) 220
(1981年) 235
(1982年) 248
(1983年) 250
ある種の表には錯覚を起こさせるようなところが本来備わっており,無節操な者がそれを利用したり,読者に対する導きがさらに必要とされたりすることがあります。下の図をご覧ください。
[図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
A.
B. C. D.
2本の線のうちどちらのほうが長いでしょうか。物差しで測れば,どちらも同じ長さであることが分かるでしょう。
平均的な人の平均
大抵の人は平均というものを理解していると思っていますが,それも自分で平均値を使いだすまでの話です。平均にもいろいろ種類があって,それぞれ異なった問題に合わせて用いるようになっています。読者は針と糸を使って上手に裁縫をするかもしれませんが,手術となれば,ジャガイモの袋を作るために使う針はあまり用をなさないでしょう。同様に,計算をするに当たって間違った種類の平均を用いると,混乱を引き起こすことになります。
八百屋のサム・ジョーンズについて考えてみましょう。サムは等級の違うトマトを2種類売っていました。一方のほうが他方よりも少しばかり上等でした。等級Aのトマトは2㌔につき3㌦で売られていました。サムはこのトマトを60㌔売って,90㌦を受け取りました。等級Bのトマトは3㌔につき3㌦で売られました。このトマトもやはり60㌔売り,60㌦を得,120㌔のトマトに対し合計150㌦の収入を得ました。
翌週,サムは等級AとBを合わせて,同じ価格になると思われる5㌔につき6㌦という値段をつけました。サムは前と同じだけの量,つまり120㌔を売りました。ところが,収入を足してみたところ,先週は150㌦の収入があったのに,今週は現金箱に144㌦しかありませんでした。どこがどう違ってしまったのでしょうか。サムは真の平均,つまり平均値を計算しなかったのです。まず1キロ当たりの価格を計算し,それからその平均を取るべきでした。そうすると次のようになります。
2㌔につき3㌦=キロ当たり1.50㌦
3㌔につき3㌦=キロ当たり1.00㌦
平均=キロ当たり1.25㌦
そうすると,5㌔のトマトは6.25㌦で売らなければならないはずでした。サムは平均というものを理解していなかったために損をしました。
統計の活用
注意深く,専門的な仕方で扱えば,統計は有用なものになります。そして,統計を誤用する人がいるからといって,正しく用いられる統計の価値が失われるわけではありません。
交通事故について集められた統計は,どの週末またどの季節に交通違反の取り締まりを強化する必要があるかを当局が定めるのに役立ちます。事故に関する統計があったお陰で,ある国では自動車のシートベルトの着用を義務づけたり,ドライバーの呼気に含まれるアルコール濃度の検査をしたりするようになりました。詐欺や偽造や虚偽表示などの犯罪の大きな増加が統計から明らかになると,当局が駆使できる警察力を配置する最善の方法を定めるのに役立ちます。自動車泥棒や自殺率が10%増加したという報道も,当局の意思決定に役立ちます。
もっと病院を建てたほうがよいでしょうか。そうしたほうがよいとすれば,どこに建てますか。交通事故に一番多く巻き込まれ,特に注意を必要とするのはどの年齢層の人々でしょうか。一番広く見られ,それゆえ処置や予防の点で最も注意を要する病気や疾病は何でしょうか。この,あるいはあの広告のキャンペーンはどれほどの効果があったでしょうか。専門的に集計され,正直な仕方で提供された統計には,このような分野において決定を下す上で計り知れない価値があります。
世界の先進諸国のいずれについても,入手できる統計はほぼ無尽蔵と言えます。例えば,オーストラリアの年間出生率は25万前後であるのに対し,年間死亡率はその数の半分にも達しません。人口の25%は15歳未満の人々です。交通事故の死者全体の41%は25歳未満の人々です。自動車事故全体の半数はアルコールと関係しています。国中の死者全体の70%前後は,心臓病かガンによるものです。オーストラリア人は年に2,800万㌔前後のたばこを吸います,といった具合いです。
分別をもって扱えば,そのような統計は賢明な決定を下すのに役立ちます。しかし,用心が必要です。統計は人を欺くために偽って用いられることもあるのです。
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統計を誤用する人もいるが,そのために正しく用いられる統計の価値が失われるわけではない