禁令下のドミニカ共和国での活動
● 1950年以後の,迫害が厳しかったころ,霊的必要物を定期的に供給することがおもに考慮されました。「ものみの塔」誌が,郵便や使いによって,また他の方法によってわたしたちのところに届いたことはエホバの愛あるすばらしいご準備を示すものです。検閲が厳しくなるにつれ,個人的に運んでもらうのが唯一の確実な方法になりました。そのように運ぶ人のひとりはどんなことが起きるかをこう述べています:
「サント・ドミンゴにある空港では,旅行者が税関を通るさいに,その職員は旅行者を一定の場所に立たせ,そこの壁にかかっているサインを読ませます。その壁のうしろには蛍光透視器があり,旅行者が武器を携帯していないかどうかを調べる仕掛けになっているのです。私は雑誌の止め金がその装置にどう映るだろうか,とよくいぶかったものです。ところが何年にもわたって,一冊の文書も探知されませんでした。ちょうどソドムの男たちが明らかに盲目にされたような,また,預言者エリシャをとりこにして連れ去ろうと試みたシリア軍のある者もそうされたような方法でエホバが彼らを盲目にされたように思えたことも時々ありました。(創世 19:4-11。列王下 6:15,18-20)ひとたびエホバの証人の手に渡ると,雑誌の研究記事は謄写版で印刷され,国中に配布することができました。―「1972年のエホバの証人の年鑑」から。