覚えていますか
あなたは最近の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● どのように『憐れみは裁きに勝ち誇り』ますか。
ほんとうに情け深いクリスチャンが,もしほんの一時の失策をして万一むずかしい事態に陥っても,憐れみ深い態度で他の人を扱った当人の記録は,不利な裁きに『勝ち誇る』からです。というのは,そうした記録は,イエスのあがないの犠牲を通して今その益にあずかれる備えを,神がその人に寛大に適用できる正当な理由となるからです。―746,747ページ。a
● 最初の人間は,あらゆる行動の導きとなる広範な法典をなぜ必要としなかったのですか。
エホバ神は彼らの内に良心という機能を植え込まれ,またご自分の性質や方法や標準を創造のわざを通して啓示して,彼らを導く原則を備えられた。―749ページ。
● どうすれば他の人びとの良心に訴えることができますか。
神のみことば聖書から真理を知らせ,それと同時に,誠実さや正直さ,純粋な動機や無私の愛をあらわすことによって。(コリント後 4:1,2)―758,759ページ。
● ゼカリヤ書 9章12節で,「希望を持つ捕われ人」が帰るよう勧められている「とりで」とはなんですか。
それは,ゼカリヤの時代にエルサレムの都によって表わされた,神のメシヤの王国のこと。そのエルサレムではかつて,ダビデの王統の王が「エホバの位」と呼ばれた王座に座していた。―22ページ。b
● 真のクリスチャンはなぜ賭博を是認するわけにはゆきませんか。
賭博は一種の貪欲の表われであり,聖書は貪欲とむさぼりを偶像崇拝と同列に置いている。(コリント前 6:9,10。コロサイ 3:5)また,賭博は,自分と同じように隣人を愛すべきであるとか,人はまじめで,生産的な仕事をして利益を得るべきであるという聖書の教えと衝突する。―45ページ。
● 服装に関して,『おのおの隣人の徳を建てんためにその益を図りてこれを喜ばすべし』という,ロマ書 15章2節の勧めにどのように従えますか。
他の人が見て気持ちよく感じるような身なりをすべきである。それは,だらしのない身なりや,不必要に他の人を不快にさせる身なりを避け,同時に,自分自身の身なりのために他の人に劣等感や恥ずかしさを感じさせるような服装をしないことを意味する。―90ページ。
● わたしたちがキリストを通して神に献身することは,なぜ,『〔正しい〕良心の神に対する要求』となりますか。
わたしたちが罪を悔い改めて身を転じ,あるいは転向し,神に献身する時,神は,清める効力を持つキリストの贖いの犠牲の血を適用することによって罪の定めからわたしたちを解放し,神に対する正しい良心をわたしたちに与えてくださるから。―125ページ。
● モーセの時代に建てられた幕屋と,後代になってそれに取って代わった神殿は何を表わしていましたか。
エホバの偉大な霊的神殿,すなわち,罪を贖うイエス・キリストの犠牲に基づいてなされる贖罪と崇拝のための事物の機構を表わしていた。この霊的な機構は西暦29年に存在するようになった。―143-147ページ。
● 幕屋および後代になってエルサレムに建てられたエホバの神殿の至聖所,「聖なる所」,祭司の中庭そして祭壇は何を表わしていましたか。
至聖所は,なだめられるべき神としてのエホバがご自分の聖なる住まいを持っておられる天のその部分を表わす。「聖なる所」は,なお肉のからだで存在している時の,イエスと14万4,000人の油そそがれたクリスチャンの霊によって生み出された状態を表わす。祭司の中庭は,イエス・キリストと14万4,000人の霊的な従属の祭司が肉のからだの点で取っている正しい立場を表わす。祭壇は神の意志,すなわち,イエスの人間の犠牲を喜んで受け入れようとする神の志を表わす。―153ページ。
● ヘロデ王によって再建された神殿の,「異邦人の中庭」は何を表わしていましたか。
受け入れられる仕方で神を崇拝するために全人類が取るべき正義の立場。―153ページ。
● 人はどうすれば,ミカ書 4章5節にしるされているように,「エホバの名によりて歩(む)」ことを決意できますか。
エホバ神の献身したしもべになり,み子イエス・キリストが示された模範に見ならう道を選ぶことによって。―177ページ。
[脚注]
a 1972年の「ものみの塔」のページ数をさします。
b 以下は1973年の「ものみの塔」のページ数をさします。