或る者は神を非難し,或る者は悪魔を非難する
或る人々は,自分の不幸を神の所為にします。神を非難することによつて,不法の行を正当化するのです。そのようなことをする人々は,1955年3月23日のミルオーキー・ジャーナル(英文)に述べられている8才の少年のようです。この少年は,強盗未遂の廉で検挙されましたが,以前にはカトリック教会に放火した,と自白しました。『そのわけは,神が少年の祈に答えなかったからだ。少年の言葉によると,父親が酒を止めて,夜には家に居るように,と祈つていたとのことである。その火事の損害は,200ドルであった。』しかし,警察当局の言葉では,年の割には小さいこの少年も,約1年間のあいだ『犯罪ばかりしていた』とのことだ。前にも,パン屋に盗みこんで現金11ドルと15ドルの価値に相当するパン屋の品物を盗み,また別の店への強盗未遂で検挙されていました。『昨年,トラックや工場の窓を悪ふざけにこわし,また工場の強盗未遂の廉をもつて,児童援助局に廻された,と警察は述べた。』そのようなわけで,両親の怠慢と偽りの宗教の教えは,青少年犯罪の原因にあずかつていることが分ります。一方,ある人々は悪魔を非難します。自分の家の近くで二つの放火をした10才の少年に,その理由を聞いてみたところ,『悪魔が僕の中にいた』と答えました。自分の不法の行について悪魔を非難することは,エデンにいたエバの時から始まりました。そして,利己的な人や,聖書のことを良く知らない今日の人々も,同じことをしています。なにか自分の思つた通りに事柄が行かないと,不法の行でそのことを表わし,それから神を非難したり,悪魔を非難したりして,自己弁護をしようとするものです。