真の満足を得る
子供のころ習い覚えたことは大人になっても大きな影響を及ぼすものです。私はわずかですがピアノにふれる機会がありましたから,音楽家になりたいと思っていました。しかし私は堅実な父から,普通の大学ならいざ知らず,音楽の道を歩むのは私にとってふさわしくない旨,叔父を通して諭されました。しかたなく方向を変えて,ある大手の印刷会社に就職することになりました。ところが,私の思いを支配していたのは音楽でしたから,給料のほとんどすべては,レコードやステレオ装置,それにコンサートの切符に費やされました。そして当時,徐々に出回り始めたエレクトーンは私の心を捕えた楽器でしたから,それを手に入れることに使われました。
私はオーケストラのスコアをエレクトーン用に編曲して演奏するのが夢となっていましたが,ある日,楽器店で以前ギタリストとしてバンドマン生活をしていた人に出逢いました。私にとって彼の話はとても魅力的でした。彼は私と他に数名でバンド(楽団)を結成するのはどうかと誘いました。サラリーマンとしての自分の好きでない職業に比べるなら好きな音楽が生活の手段となるなら,きっと満足をもたらすに違いないと考えました。それまで,ジャズやポピュラー音楽にはあまり関心がなかったのですが,音楽がやれるということだけで何をやるかは問題とはなりませんでした。
当然,父や家族の反対が予期されましたから,私はトラックに自分の荷物を積み込み,行く先も告げず,家出し仲間と共同生活に入りました。練習に伴って技術も上達してきました。ナイトクラブやレストラン,サパークラブが職場となりました。
しかしこの生活はステージでは華やかですが,それは生活の一部でしかありません。残りの時間は,自分の技術を向上させる練習や,新しいものを取り入れるため有名なアーチストの演奏をレコードで何度も聞きそれをコピーすることによって自分のものとするために,ほとんどの時間が費やされました。一日中,練習し続けることもありました。このような状態の中で妻との結婚生活が始まりました。しかし一時も音楽が私の頭をはなれたことはありませんでしたから,妻は愛情に飢えていたに違いありません。生きることの空しさや希望のない生活に霊的にもすっかり飢え渇いていたようでした。妻は,空しさや寂しさを満たしてくれるのはお金だけだろうと考えざるを得ませんでした。音楽に全く献身していた私にとって,自分で選んだ道こそ満足をもたらしてくれるものと考えていましたから,エレクトーンの演奏のために自分の生活を費やしてきました。しかし,本当の満足を与えてくれたことは一度もありませんでした。
私たち夫婦の間には思いの一致や真の幸福感がないまま結婚して4年程たちました。そのころ妻はエホバの証人の一婦人の訪問を受けました。妻は,「今どき死がなくなるなど考えられないことを言うものだ。何と純粋な心の持ち主なのだろう」とほほえましく思ったようでした。しかし,「死がなくなる」という真理の種は妻の心に根付いたようでした。そして私は妻の勧めに応じて,一緒に「見よ! 私はすべてのものを新しくする」の小冊子を用いて研究を司会していただくことになりました。学ぶにつれて,それまでお金だけが満足を与えてくれるものと考えていた私たちは,それに代わる真理を見いだしました。初めて出席した公開講演の主題は,「富を追い求めるのは実際的なことですか」という私たちにふさわしい内容でした。神への賛美となる仕方ですべての事を行なうとき,真の幸福が得られることを私は理解しました。
私の以前の勤め先は,やみの中の肉の業で満ちていました。淫行,汚れ,不品行,酔酒,浮かれ騒ぎなどの肉の業を助長するのに私は一役買っていたのです。しかしエホバ神は,私たちをやみからご自分の光の中に呼び入れてくださいました。幸福の源であられるエホバ神は,私たちの結婚生活にも真の満足と幸福を得るための原則を与えてくださいました。
「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。(ヨハネ第一 2:17)この約束は私たちに目的と希望を与えてくれました。現在,私は妻と共に必要の大きな所で全時間の伝道奉仕に携わっています。もはや人間の欲望のためにではなく,神のご意志に関して生きる大きな特権を得て,妻と共に光の中を歩み,一致のうちに幸福と満足を今でも味わうことのできる喜びをエホバ神に感謝しています。―寄稿