真理に目ざめた高校の教師
1970年の夏も終わるころ,当時,未割当区域にあった私たちの家に,今は特別開拓者になって東京で働いておられるある姉妹が初めて訪問されました。誠実な姉妹の証言に心をひかれた妻が,「見よ! 私はすべてのものを新しくする」と題する小冊子を求めました。妻は娘のころ,ほんのしばらくの間教会に通ったこともあり,現代の悪い世をうれえていた1人でしたので,素直に証言を聞いたようです。再び訪問を受けたのち,妻は週1回行なわれる家庭聖書研究の勧めに応じました。
当時,私はと言えば不そんにも,エホバの証人はキリスト教の諸宗派の1つくらいに考えて,退廃していくキリスト教を学んだとて何になるのか,と妻の話を真面目に受け入れず,消極的な反対を示していました。たとえば,エホバの証人の伝道者が玄関にいたときなど,会わないようにするため,わざわざベランダにまわって出入りしたことなどもありました。
秋も終わりのころ,家族そろって公園に出かけたおり,妻は子供といっしょにどんぐりをさがしに行ってきますといって外に出,車の中には私1人が残されたかたちとなりました。座席には,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本が置いてありました。なんとか手にとって読んでもらいたいと,祈りをこめて妻が置いていったものでした。反対はしていたものの,「世の終わり」とかということについては,いささか気になっていましたし,しょざいなさも手伝って,その本をあちこち拾い読みしてみました。そしてその説得力のある内容に心を打たれ,自ら確かめてみたいという意欲を感じたのです。
妻は次の聖書研究に同席することを熱心にすすめました。私が初めて研究に同席したとき,研究を司会してくださった姉妹は,聖書研究を始めるよう,柔和な態度で私に勧めて下さり,家庭聖書研究や集会に出席することは,真理の正確な知識を得るためにぜひ必要であると話して下さいました。研究を続けるかたわら,私は個人的にもものみの塔協会の出版物をよく読み,深夜にまで及ぶこともしばしばありました。また研究を司会して下さる方々の熱心なご援助により聖書が神のことば真理であるとの確信はますます強められました。
やがて子供も,ともに集会に出席できるようになり,妻は昨年の5月に,私は7月に伝道者になりました。一族の間では,仏教の行事,親族の選挙応援運動,祭礼に関する事柄,氏子総代の責務など古くからのいろいろな結びつきがあります。黙示録 18章4節にあるように,「大いなるバビロンを出でよ」という命令にしたがい,伝道を始める前にこれらすべてのものを勇気をもって断ち切りました。もちろん,数々の非難や迫害は今でも続いていますが,エホバ神により頼んで忠実を保ち続けています。
私は高等学校に勤めております。ルカ伝 3章9節に「斧は早や木の根に置かる」と述べられていますが,この世に残されている時が短いこの緊急な時代にあって,エホバ神に仕える時間を少しでもふやしたいため,きたる4月から専任の教官のかわりに講師になることを決意しています。そうすれば,今の2倍以上の時間をエホバ神への奉仕に活用することができます。もっとも,収入は1/3に減りますが,妻もこのことに進んで賛成してくれました。また私の家も会衆の書籍研究の集会場所として用いられており,新しい群れの発展に寄与できるのは大きな喜びです。
もう1つ喜ばしいことは,妻と聖書研究をしている隣の奥さんが良く進歩され,伝道者として奉仕し始められたことです。私たちのような取るに足りない未熟な者をもエホバ神がお用い下さることを悟り,心から感謝しています。
なお,私たちが交わっている会衆でも王国会館の建設が待ち望まれています。すぐに使用できる段階ではありませんが,伝道者になるころから胸にあたためておりました構想,つまり,私たちの所有地と100坪ほどの建物を用いていただけるものならば,用いていただきたいと,明日バプテスマを受けるにあたって,会衆の監督に申し出たところです。エホバのめぐみにより与えられたものであり,神の組織のために用いていただけるものでしたら,これ以上の喜びはありません。
― エホバの証人の三島巡回大会で話された経験